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だだ

Author:だだ
方向音痴で胃腸虚弱で臆病者の旅行好き

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アンケート
タシケントの空港で、帰りのフライトを待っている時のこと。
 「アンケートにご協力ください」
と話しかけられた。
キャッチセールスではなくて、
 「この国(ウズベキスタン)の観光に関してのアンケート」
らしい。
暇だったから用紙を受け取った。

 「観光客にとって、この国の良いところは?」
 「悪いところは?」
 「ホテルはどうでしたか?」
 「交通はいかがでしたか?」

などなどの質問に回答していくと、最後にこんなこ一文が。

 「ご協力ありがとうございました。
  もれなく抽選でプレゼントをお送りします!」

・・・もれなく抽選。
そしてメールアドレス欄はあれど名前を記入する欄はない。
あれ絶対、誰にも当たらないってことだよな・・・?

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ウズベキスタン | 【2006-04-27(Thu) 10:26:42】 | Trackback:(0) | Comments:(6)
旅のはじまりは宝塚
♪ 行こうよ行こう、サマルカンドへ。
  赤いバラの咲く園へ 麗しい姫の住む城へ
  さあ行こうよ、行こうよ。
  
私のウズベキスタンへの旅はこの歌からはじまった。

宝塚歌劇でやっていたミュージカル『サマルカンドの赤いばら』。
砂漠のオアシス都市・サマルカンドを舞台に、お姫様や盗賊や魔法使いが活躍する、たわいもないが楽しいファンタジー作品だった。
私はこれが大好きで、ビデオに録って飽きるほどくりかえし見たものだ。
舞台をつくった演出家の大関先生は、当時、こう記していた。
 「中央アジアにサマルカンドという町があるという。
  たくさんのバラが咲き乱れる、美しい町だそうだ」
それで私は、その町が実在することを知った。
サマルカンドの赤いばら。
当時、私は13才。

1991年にソ連は崩壊した。
サマルカンドの都がある辺りは、ウズベキスタン共和国として独立した。
外国人の旅行は厳しく制限されていたが、ここ数年でかなり自由に旅ができるようになった。
今なら行ける。
私は、自分の足で、あのサマルカンドへ行くことができるのだ。
しかし期待が大きい分、ためらいもまた大きかった。
ビザを取るのもややこしい。英語だって全然通じないという話だ。私みたいなのがフラっと行って大丈夫だろうか。いつも即断即決で航空券を取ってしまう私が、めずらしくためらっていた。
決め手となったのは母の一言だ。
 「人生、いつ何があるか分からない。行けるうちに行っておきなさい。」
『サマルカンドの赤いばら』から15年が過ぎていた。



ウズベキスタン | 【2008-01-03(Thu) 19:41:54】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ギーチェ爺ちゃんの食卓
日本からウズベキスタンまで、行くのはわりあい簡単だ。
関西空港から直行便が出ていた。
飛行機で8時間、首都タシケントに降り立った。

・・・行くのは、簡単なのだが。
ここからがちょっと手こずった。
ロシア語圏はは初めてだ。
どこを探しても英語の入国書類が見つからない。
長い時間をかけてビザをとり、
長い時間をかけてリコンファームをし、
長い時間をかけて両替をして、
そのくせアッ!というまに白タクにボラれた。

予約していたホテル『マリカ』に着いたのが夕方5時。
真新しい、ぴかぴかのホテルだ。
晩御飯を7時に頼んで、散歩に出かけることにした。
アットホームなホテルで、
 「絶対ゼッタイ、7時には帰っておいでね!」
と念を押された。
子供みたいで頼りない私を心配してくれたのだろう。

秋のタシケントをそぞろ歩く。
日本より少し寒い。
ソ連時代の産物だろうか、画一的なアパートがならんでいる。
りっぱな並木からは枯葉がはらはらと落ちてくる。
街路樹を見上げながらゆっくり歩いていると、溝と言ってもいいくらいの小川で、網を構えている男の子を見つけた。
こんなドブ川にも何かが棲んでいるのだろうか。
前を歩いていたおじいさんが立ち止まり、私ににっこり微笑みかけて、
 「ブラックバス」
と言った。
魚がいるんだ。

おじいさんの名前はギーチェ。
いかにもロシア人らしい彫りの深い顔立ちと、穏やかな瞳、優しそうな雰囲気の紳士に見えた。
ただ、なにしろ英語が通じない。
「Dog」も「Hotel」もどんな単語も通じない。
ロシア語でぺらぺらとまくしたて、どうやら
 「ついて来い」
って言っているらしいと、ちょっとついて行ったなら!
誘拐された。
拉致られた。
停まっていたタクシーの中にぐいぐい押し込まれた。
白昼堂々、何するねん!
あの時はさすがにびっくりした。

言葉が分らないので泡をくったけど、ギーチェじいちゃんは悪い人じゃなかった。
ただ、遠い国から来た私と知り合いになって、夕飯もご馳走してくれようって、それだけのつもりだったのだ。
そんなこととは知らない私。
ロシア語会話集を開き、必死で問うてみた。
  「グチェ?(どこ?)」
  「わしの家」
タクシーを下りて、角を曲がってアパートの部屋に案内された。
部屋にあがるとベッドが2つ。
・・・ほっとした。
家族がいるんだ。
10畳くらいの居間には、床にも壁にも一面に赤い絨毯が広げられていた。
その芸術的な美しさに目を奪われていると、
 「わしのママだ」
と、相当なお年のおばあちゃんを紹介された。
来客には関心がなさそうで、ひたすらTVに見入っていた。
耳も遠いし、ひょっとしたら呆けているのかもしれなかった。

ギーチェじいちゃんは私をキッチンに連れていった。
 「夕食を食っていけ」
夕食はホテルに頼んであったし、7時には帰るようにとしつこく念を押されていたことを思いだしたが、断れる状況じゃなかった。
断っても許してくれる人じゃなかった。
献立は、
トマトと生タマネギのサラダ。
パンと甘いケーキ。
昨日のチキンをぶっかけた、ラグマン(うどん)。
どれもおいしく、本当に楽しい食卓だった。
が。
なにしろ言葉が通じない。
会話はすべて身振り手振り。
だが、国が違えばジェスチャーも違ってくる。
爺ちゃんが唇を指差すので、「旨いか?」と尋ねられたと思い、
  「旨い」
と肯くと、タバコを持ってこられた。
また、のどを指差すので意味がわからず首をかしげたら、ウォツカ持ってきて
  「飲め」
と言う。
アルコール40度の液体をストレートでグラスに注いで「さあ飲め」。
死んでしまいそうなので、さすがにこれは断った。

黄色くなった古い写真の束も見せてくれた。
家族の写真。
いろんな時代の家族の肖像だ。
爺ちゃんの若い頃の写真もあって、軍服姿がものすごくカッコよかったので
  「ハラショー!」
と褒め称えると、爺ちゃんは喜んで、いきなりほっぺたにスリスリしてきたので驚いた。
・・・ヒゲ、じょりじょり。
この写真はママの若い頃。
これは息子のコーシカ。
これは死んだ祖父の葬式。
これはワシの奥さん。
でも奥さんも息子ももう亡くなっているようだった。

そうこうしているうちに7時をまわった。
ホテルの人たちを心配させてはいけないから、そろそろ帰らねば。
だが爺ちゃんは
  「ぜひ泊まっていけ」
と言う。
私はまた会話集をひっぱり出す。
  「ニェート(NO)、ガスチーニツァ(ホテル)」
  「いや、泊まってけ」
  「ガスチーニツァ、ガスチーニツァ」
  「まあまあ、そう言わずに」
爺ちゃんは寂しいのだと、そのとき初めて気がついた。
奥さんも息子も死んでしまって、私はめったにない来客なのだ。
そして日本にいる祖父を思いだした。
祖父も、私が帰るときは今のギーチェと同じような目をして引き止めようとしていたっけ。
ギーチェ爺ちゃんも、寂しいんだ。
だから私を家に招いたんだ。
このドアを出たらもう二度とこの人には会えない。
つむじ風のように通りすぎていく、旅人でしかない自分がちょっと申し訳ない気がした。

それでも私は去らねばならない。
やっとのことで外に出ると、もう真っ暗になっていた。
送ってあげようと爺ちゃんは言う。
  「角を曲がって四軒目だ。角は散髪屋なんだ。
   タシケントに来たら、忘れずにまたおいで」
そうしてなぜか角の散髪屋に入る。
まるで時間稼ぎのように。
爺ちゃんは髪を整えて、格好つけてみたりしている。
散髪屋は楽しげに
 「ジャパン・ハラショー、合気道!」
とか言うておる。
そして3人で記念撮影をする。
約束の7時はもうとっくにまわっている。

やっとこさっとこ散髪屋を出て、道でタクシーを捕まえる。
手をとりあって、抱き合って、頬すりすりして、涙の別れというやつである。
でも私はと言えば、タクシーに押し込まれて以来びっくりしっぱなしで、わけがわからなくて、感情がついてこなかった。
ただ、ギーチェ爺ちゃんがとてもいい人で寂しいんだということしか、わかっていなかった。

ウズベキスタン | 【2008-01-03(Thu) 20:34:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
美しいヒヴァ
ウズベキスタン2日目。
ホテルからタクシーで空港へ向かう。
料金は約1ドル。

タシケントでは何度もタクシーに乗ったが、どういうわけか全てのタクシーのフロントガラスにひびが入っていた。
空港バスのも割れていたっけ。
しかも運転手は、
  「マジかよ」
とツッコミたくなるほどの高齢者。
80才は越えている。
いや、90も越えてるかもしれない。
ドッピと呼ばれる四角い民族帽をかぶり、足はジャージ履き。
小刻みに震える手でハンドルを握り、中央線ギリギリをきわどくかすめてつっ走る、超ベテラン運転手であった。
ものすごい怖かった。

タシケントから国内線で2時間、ウルゲンチへ到着。
そこから更にタクシーで観光地のヒヴァを目指す。

ヒヴァには城壁で囲まれた「イチャン・カラ(内城)」という町があり、
ここは町全体が世界遺産に指定されている。
町じたいが大きな遺跡なのだ。
そっくりそのまま中世そのもの!
たくさんのミナレット、メドレセ、家々の壁も石畳の道も、すべてがくまなく遺跡なのだ。
私が泊まった宿もこの世界遺産の中にあり、古い民家を改造したものだった。

ヒヴァの朝焼け


ヒヴァの町を一望する

イチャン・カラ内


カルタ・ミナル

夕日に染まるヒヴァを歩く。
カラスの群れが飛んでいく。
白い月がミナレット(塔)に寄り添うようにたたずんでいる。
美しい。
美しい町である。

浸っていると、
「ハロー」
と女の子が英語で話しかけてきた。
10才のナザカット。
学校帰りだそうだ。
写真を撮って住所書いて、
 「ボンボン(キャンディ)ちょうだい」
と言われた。
 「持ってないよ」
と言うとあっさりあきらめ、バイバイとほかの外国人を見つけて走っていった。
・・・なるほど。
ここの子供はそうやって商売をしているのかと、初日はそれだけで済んだのだけど。
彼女はなかなか商魂たくましい女の子だった。
明くる日も私を見つけると駆け寄ってきて、結局、
・・・いろいろ買わされちゃった話は、パス。
 
ナザカットから逃げ出してまもなく。
また別の子供につかまった。
今度は男の子だ。
シャハルーホ、9才。
可愛いらしい子だが、彼は物売りをする代わりに、
 「ボクの家でお茶でも」
と、自分の家に連れていった。
・・・なるほど。そういう手もあるのか。

なかなか凄いことだと、シャハルーホの家に上がりこみながら思った。
世界遺産の町に住む。
考えてみればこの家だって、建て直しを繰り返しながら、何百年前からここにあるのかもしれない。
中庭なんて発掘現場のようである。
いかにも古そうな井戸や、昔ながらの竃がある。
細かい彫刻の施された木の柱が、今もなお使われている。
宮殿やメドレセでも見られるようなものすごく古い柱だ。
そこに洗濯ロープをかけてピンクや紫のパンツを干している。

ジュマ・モスクの古い木柱


靴を脱いで上がるとたくさんの家族たちがいる。好奇の目がいっせいに私を見つめる。
 「こ、こ、こんにちは」
どうぞと居間へ通される。
大きな黒いストーブと、奥にテレビ、Wラジカセまである。
テレビに一番近い席におばあちゃんが座っており、その横に座れと言う。
 「そこはひょっとして上座では?」
と思いながら腰を下ろす。
TVでは白黒のインドのドラマをやっていた。
さしずめ、愛と死のサスペンス・ドラマと言ったところか。
小さな子供までがえげつない場面を必死になって見ている。
TVを見ながら、おばあちゃんときれいなお母さん、少年シャハルーホと彼の妹2人で、お茶を頂く。
ナンとクレープも出た。
 「ナンにコレをつけると美味しいんだよ、つけてみるかい?」
とおばあちゃんがスプーンを差し出すので、なめてみた。
 「うっ!」
ラードだ。

そのうちお父さんとおじさん、従妹達までわらわらと集まってきた。
 「日本人が来てるんだって?」
 「ニホンジン?」
小さい子供は靴のまま上がってきて怒られたり、お茶をひっくり返したりと、大騒ぎだ。
そのスキにおばあちゃんは私のお茶に角砂糖を2つも入れて、一人で喜んでいた。
 「うっ!」
甘い・・・。
お父さんとおじさんは、ガイドブックとロシア語の会話集を熱心に眺めていた。
彼らは英語はもちろんロシア語さえほとんど話さないようだった。

同じ「家に招かれる」のでも、ギーチェ爺ちゃんと少年シャハルーホとでは根本的に違う。
シャハルーホは数ドルの小銭がほしかったから声をかけてきたのだ。
でも民家を見学させてもらうのは楽しかったし、とても暖かく楽しくすごせたので、現金でお礼をすることに抵抗はなかった。



ウズベキスタン | 【2008-01-04(Fri) 19:32:36】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
「おしん」と呼ばれて
ウズベキスタン4日目。
ヒヴァをあとにしてブハラへ向かう。
私が旅した2002年当時はタクシー移動が主流で、
他国のバックパッカーはみんながタクシーをすすめてくれていた。
だが。
タクシーだと30~60ドルかかるところが、バスだとたったの3ドルですむ!

バスはかなり古かった。
そろそろ引退させてあげたいような年寄りバスで、
何度も途中で停まったし、一度停まればもう動かない。
たまたまエンジンがかかった時にすかさず発車、という具合。
スピードもまったく出ないから、他の車にどんどん抜かれた。
タクシーをすすめられるわけだと思った。

乗り込んですぐ、周りの乗客が私に気づいた。
 「おまえは日本人か?」
 「日本人だ」
 「おい、こいつ日本人だってよ!」
 「ええっ、日本人なのか!?」
 「日本と言えば『おしん』よね!」
ということで、私は『おしん』と呼ばれることになった。
あとでおばさん達が私に『ラーノ』という名前を(勝手に)つけてくれたけど、
結局のところ私は最後まで『おしん』のままだった。
当時、民営バスに乗る日本人はまだ珍しかったようだ。
持っていた本やガイドブックは奪われ、たくさんの人が熱心にその写真を眺めた。
やがて一人のおばさんが、
 「おい、おしん! こっちに座れ。
  その男の横じゃ何されるか分からない」
自分の隣へ来いと言う。
それから、かつてこれほど『地球の歩き方』が活躍したことがあるだろうかと思われるほど「旅の言葉」(必要最小限のロシア語、ウズベク語などが載っているページ)を駆使して会話をした。
なにしろ長い旅路である。
時間はたっぷりある。
家族のこと、物価のこと、これまでの旅のこと。
私達は何時間も話をした。

彼女はシャハラーさん、45才。
シャハルは「町」という意味なので、日本語で言うなら町子さんか。
 「私はシャフリサーブズのバザールで米を売っている。
  月曜まで働いて、火曜にまたホラズム(ヒヴァ)に戻る。
  それまでにぜひ遊びに来なさい。いや、今すぐ、このまま来なさい」
シャハラーはさかんに家に泊まりに来いとすすめた。
 「ホテルは高い。うちならタダですむ」
いや、そうなんだけど。やはりブハラにも行っておきたいし。
 「ブハラはチューリ(砂漠)だ。何もないところだ。
  シャフリサーブズはヤフシャ(良い)だ」
サマルカンドは?
 「サマルカンドも、ヤフシャ(良い)だ。
  シャフリサーブズはサマルカンドのすぐ近くだ。
  来なさい、今、来なさい」
今、はちょっと困るので、月曜までにきっとに行くと約束をした。
シャハラーは
 「絶対においでよ。2人でおいしいスイカを食べよう」
と言って笑った。

長距離バス

(シャハラーおばさんと長距離バス)

ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 12:43:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
青きアムダリヤ
ブハラへの旅は長かった。
同じような景色にうんざりしてきた頃、
 「アムダリヤ!」
シャハラーが窓の外を指差した。
砂漠なかに唐突にあらわれた水。
青い、青い川の流れ。

アムダリヤ川


これがアムダリヤ川か。
砂漠に緑をもたらす命の川。
電力ももたらしてくれるらしく、水力発電のダムもある。
 「アムダリヤ、ボリショーイ(大きい、素晴らしい)」
シャハラーは何度も何度もくりかえして言った。
そして青い流れに浮かんだ一艘の船を指差して、
 「見なさい、舟だ、舟だ」
と、興奮気味に教えてくれた。
砂漠に住む彼女にとって舟は珍しいのかもしれない。

バスはアムダリヤにかかる橋を渡るが、渡る前と後と、政府のチェックを2回も受けなければならなかった。
アーミー柄の制服を着た警察(軍隊かも)がバスに乗り込んで、一人一人身分証のチェックをする。
私のチェックが一番厳しく、パスポートを持って行かれてしまった。
 「レギストラーツェ(外国人登録。滞在する町ことに申請が必要)を調べてるんだ」
とシャハラー。
ウズベキスタンの警察は評判が悪いのでちょっとドキドキしたが、パスポートは汚い指の跡をつけられただけで無事に戻ってきた。
はずだったが。
が、今度はバスの乗客に持っていかれてしまった。
 「へえ、これが日本のパスポートかい」
 「このスタンプはどこの国?」
 「このシールは何?」
 「この日本語を読んでくれ」
ぜんぜん話が終わらなくて、もう・・・返してください。

2回目のチェックをしたのは、生まれて初めて日本人に会うという若い警官で、私のことををまじまじと眺めて
 「おまえはほんとに日本人か。日本人か。」
としつこく尋ねてきた。
するとバスの乗客たちは声をそろえて大合唱。
 「日本人だ、『おしん』だ!」
・・・まあ。いいけどね。


ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 14:49:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
砂漠を走る長距離バス
バスは砂漠を駆け抜ける。
砂漠といっても、黄金色の砂の海、というわけではない。
岩だらけで針のような植物がほそぼそと生えている。
大きなネズミのような生き物もいた。
薄茶色の岩と灰色の茂み。
乾ききった大地がどこまでも茫漠と広がっている。
ただ空だけが、アムダリヤ川のように青い。
私はいくつもの物語を思い出す。
・・・王子カラフ。盗賊ハッサン。ここは広いな。
バスはそんな砂漠を上ったり下りたり、走ったり休んだり、のろのろと南東へ向かっていく。

バスは午後もひた走る。
牧童がヤギを追いながら歩いてくる。
彼らはどんな遠くからやってきたのだろう。
やがて日が暮れる。
壮大な夕焼けだ。
360度の夕焼けだ。
バスの行く手に銀色の円盤が浮かぶ。
 「オイモモ(月)!」
とシャハラーが言った。
私はそれでひとつウズベク語を覚えた。

夜8時、州境に到達。ホラズム州からブハラ州へ入る。
ドライバーと積荷のチェックが行われる。この時、トイレタイムとなった。
男は道の右側へ、女は左へ。
自然に分かれて・・・そのへんでどうぞ。

壮大だと思った。
月の光に照らされる砂漠に、みんな1列に並んでおしっこだ!
なんだか感動である。
人間よ自然に帰れ。
月光が雲のヴェールを裂き、星空のシャワーがかいま見える。
 「ねえ、なんであの子はあんな奥まで行くんだい?」
 「日本人だからじゃないかい」
どんな時でも注目を浴びてしまう『おしん』であった。

ドライブインで休憩をとった。
時間は午後9時、夜食の時間だ。
湧き水みたいな水道で手を洗う。
 「おしん、ここへ座れ」
シャハラーの親戚のオジサンが席を用意してくれた。
彼は、ドイツ人ゴールキーパーのオリバー・カーンを陽気にしたような顔立ちだった。
 「何を食べる?」
 「なんでもいい」
 「××でいいか、うまいぞ」
××がどんな料理かわからずに困っていると、陽気なオリバー・カーンは
 「見せてやる」
と厨房へ押し入り、何かを持ち出してきた。
・・・卵だ。
卵はもちろん大好きだ。
にっこりうなずくと、なぜか店中の客がどっと笑った。
卵は目玉焼きになって出てきた。
あとは主食のナン(平たいパン)とチャイ(お茶)だ。
 「スプーンはいるか」
とシャハラーが訊いてきたが、私は
 「シャハラーがいらないなら、私もいらない」
と言って、手づかみで目玉焼きをナンにつけて食べた。
おいしかった。
見渡せば、大抵の人が手づかみで食べていた。

このとき同じテーブルになった人が、自分はヌクス人だと言っていた。
ヌクスは、ウズベキスタンの西の果て。
顔を見れば純粋なモンゴロイドだ。
モンゴル人か中国人と言っても通用するかもしれない。
どこか哀しみをたたえた、味わいのある顔をしていた。
そういえばシャハラーは民族的にはカザフ人なのだそうだ。
きりっとした強い眉毛、
はっきりした西洋的な目鼻立ち。
タシケント出会ったギーチェ爺ちゃんは完全なロシア人だった。
青きアムダリヤを越えたらもうそこはトゥルクメニスタンで、トゥルクメン人はその名のとおりトルコ系だ。
中央アジアには、実にいろんな顔があり、いろんな人々が住んでいるのだと思った。
彼らの写真を撮らせてもらっていたら、
 「ワシも撮ってくれ!」
「おれも!おれも!おれも!」
とオヤジ連中が騒ぎ出したので、結局そこにいる全員を撮るハメになってしまった。

ドライブインにて


ご飯を食べてバスに戻るとみんな眠った。
夜の砂漠はかなり冷え込む。
私とシャハラーは1枚のジャケットを一緒にかぶって仲良く眠った・・・というか、
 「おしん!上着!」
と言って無理矢理はんぶんこさせられた。
ボロバスでも案外、眠れるものである。

深夜、エンジンが止まり、また休憩かと思っていたら
 「ブハラだ、日本人!」
とドライバーが叫んだ。
長いバスの旅は終わったのだ。
私は寝ぼけ眼のシャハラーとオリバー・カーンと陽気なオヤジ連中にあわただしく別れを告げてバスを降りた。

こうして、ウルゲンチからブハラまで10時間におよぶバスの旅は終わった。

ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 21:34:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
イマイチな思い出
ブハラに着いたのは深夜0時。
ガイドブックには「8時間」、経験者からも「6~7時間」と聞いていたところを10時間かけて来たわけだから、この遅さは予想外。
深夜だったためか、宿のスタッフはパンツ一丁で出迎えてくれた。
・・・ちょっと怖かった。

今回の宿は、ブハラの中心・ラビハウズの目の前にある。
お湯も出るし、旅行者の間でも評判の申し分ない宿。
ゆっくり休んだ翌朝、さっそく観光に出発だ!

ところが。
いきなり。
死にかけている猫に出会った。
宿のすぐそば、ラビハウズ(池)のほとりだ。
キジトラの猫で、足を体の下にたくしこみ、うずくまっていた。
遠目には眠っているかのようだ。
だが、近づけばすぐに分かる。
もう頭を上げていられない様子で、がっくりと地面に鼻を落としている。
まったく動かない。
目も開けない。
耳をヒクリとも動かさない。
ひげ一本震わせない。
たまに呼吸をするとき、背中が弱々しく上下するだけだ。
毛並みは悪いが外傷は見当らない。
病気だろうか。

ラビハウズ


こんな所で。
私は泣きたくなった。どうにもしてあげられない。
せめて水をと差し出したら、その時だけ、かすかに顔をそむけるような動きをした。
拒否しているのだ。
おれはここで死ぬのだと、決意を示すかのように。

朝いちがそれだったから。
ブハラはなんとなく居心地の悪い町になってしまった。
どこへ行ってもお土産屋ばっかりだ。
レストランではぼったくられまくる。
ちょっと歩けば子供にたかられる。
 「ボンボンちょうだい!」
 「ペンちょうだい!」
しかも一人や2人や3人ではない。
集団で襲撃してくるのだ。
ヒヴァの田舎の子供たち、ナザカットやシャハルーホみたいに代わりの何かを与えてくれるわけでもなければ、東南アジアの貧しい子供達のように命がけでもない。
彼らはただ、ほしいほしいとむき出しで言うだけだ。
とても感じが悪かった。

今まで楽しかったぶん、その一日は強烈にめげた。
死にかけた猫のことが頭から離れなかった。
あの子はどうしただろうか。
でも、もう一度見にいく勇気はない。

疲れ果ててチャイハナ(喫茶店)に座り込んでいると
 「ご一緒していいですか」
と英語で尋ねられた。
 「私はガイドをやっています」
美人だが、ちょっと化粧濃いめの女の人だった。
ドライバーらしき男の人を連れていた。
 「よかったら、ブハラの町をご案内しましょうか」
・・・ブハラは、もういい。この町は私に合わない。
しゃべりたい気分だったので、言葉が通じるのを幸い、彼女を相手にさんざんグチった。
疲れていたのだと思う。
 「もし他の町へ行きたいなら、車の手配をしましょうか?」
と彼女は言った。
・・・ああ、そうだな。それがいい。
予定を1日くりあげて、シャフリサーブスへ行こう。
親切なシャハラーおばさんのいる町、シャフリサーブス。
彼女の顔を見れば気も晴れるかもしれない。
 「安い宿も紹介できますよ」
渡りに舟とはこういうことだ。
その場で、翌日の昼にシャフリサーブスへ行く車を予約をしてしまった。

翌朝。
宿の女将であるファティマが
 「あんた、今日チェックアウトするんだよね?
  次はどこへ行くの」
と尋ねてきた。
 「シャフリサーブスへ行くつもりです」
 「タクシーはもう決まってるの?」
 「昨日、旅行会社の人に会ったので、そこに頼みました」
 「ほう。なんていう人か、名前はわかる?」
名刺を部屋に置いてきていたので、その問いには答えられなかった。
ファティマは大柄でどっしりしている。
おばさんと言うより「女将さん」という響きが似合う。
一見、怖いが頼り甲斐のある印象だし、実際とても面倒見のいい人らしかった。
そのファティマが言った。
 「いいかい。もし必要になったら、私が安いタクシーを紹介してあげるからね。遠慮なく言うんだよ」
それがどういう意味なのか、その時はピンとこなかった。
私はお礼を言って、散歩に出かけた。

昨日の旅行会社の人は、12時すぎに迎えにくると言っていた。
お昼ごはんから帰ると、例の化粧の濃い女の人がすでに門のところで待っていた。
私は「荷物を持ってくるから」と急いで部屋へ向かった。

「ちょっと待って。」
客室へつづく階段の下で、ファティマが私を引きとめた。真剣な表情だった。
 「彼女も行くのか?」
ファティマの目が、門の方をちらっと見た。
化粧の濃い女の人が手持ち無沙汰に待っている。口紅が赤い。
たしか、ドライバーは英語ができないから、彼女も行くと言っていたはずだ。
 「やめときなさい。彼女は危ない。」
ファティマの細い目はますます真剣になった。
「彼女はよくない!
だから今朝、誰に頼んだのかって名前を訊いたんだよ!
 彼女の被害に遭った旅行者を知っている。
 彼らはみんな怒っていた。
 タクシーの中で眠っている隙に現金を盗られたり、紹介された宿で盗まれたりしている。
 安い宿を紹介しておいて、大金を盗むんだ。私は彼女を憎む。
 タクシードライバーなら私が紹介してあげる。
 宿も信頼のおけるところを教えてあげる。
 だから、彼女だけは、おやめなさい。」
やめよう。
即決だった。
ファティマの言うとおりにしよう。
・・・本当を言うと、この段階でファティマの言葉を信じるに足る根拠はほとんど無い。
タクシーや宿の紹介料が目当て、ということだってあり得るのだ。
私にはウソや人柄を見抜く眼力なんか、ない。
ただ、私が読んだ旅情報サイトに「ファティマはいい人」という評判があったのと、
 「I hate her. (彼女が憎い)」
なんて激しい言葉が飛び出すのはタダゴトではないと思った。
それに何より、恰幅のいいいファティマの豊かな胸周りが、母性的で頼れる感じだったのだ。
私は彼女の言葉を全面的に信用することにした。
 「でも、どうやって断ればいい?」
 「一緒に言ってあげよう。ブハラでもう1、2泊するんだと言いましょう」
それで、そうした。
少し怖い問答のあと、化粧の濃い女の人は渋々帰っていった。

ファティマは電話をかけて、信頼のできるタクシーを探してくれたが、結局みつからなかった。
その代わり、同じ宿に泊まっていたバングラディシュ人のツアーバスに同乗にさせてもらえるよう、かけあってくれた。
 「ツアーのバスで、とりあえずサマルカンドまで行きなさい。
  このバスなら絶対安心だから。
  宿は『ティムール』、ここの主人は私の友達なんだ。
  安いし、レギスタン広場に近い、とてもいい場所にある。
  シャフリサーブスへのタクシーもティムールが手配してくれるはずだ。」
至れりつくせりである。
別れ際に
 「いろいろとご親切を感謝します」
と礼を言うと、ファティマは
 「なあに、うちにくる旅行者はみんないい人ばかりだからね。
  だから私も親切にするのさ」
 と言った。

ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 23:15:55】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
バングラディシュ人のバスに乗って
ウズベキスタン6日目。
ブハラからサマルカンドへ、バングラディシュ人のツアーバスに乗せてもらうことになった私(もちろん料金は払う)。
ツアーとはいえ夫婦2組、たった4人のこじんまりしたもので、バスもミニバスである。

彼らとは朝食の時にすでに顔見知りになっていた。
奥さんがサリーを着ているのでインド人かと思って尋ねたら、バングラディシュだと言われた。
私にとっては生まれて初めて出会うバングラディシュ人。
・・・で、バングラディシュって、どこ。
服装から見てもきっと大金持ちなのだろう、世界中あちこち旅をしている様子である。
 「実は先週、バリ島へ行ってきてね」
 「バリですか!?テロで危なかったんじゃ?」
 「そうなんだよ。わしらはラッキーだった。あそこはもう『楽園』とは呼べないね、はっはっは」
悠長なものである。
彼らは、ウズベキスタンを大変気に入ったと言った。
 「ここの人は人なつこくていいね。子供達がすぐに『写真撮って!』と寄ってくるし。
  時間もゆったり流れているようだ」
・・・しかし私は目撃していた。昨日、彼らが子供達に襲撃されているのを。
きっと、1人にドル札をあげてしまったのだろう。
大小あわせて10人もの子供が群がり、20本の手をのばし、口々に
 「ダラー、ダラー、プリーズ!(ドルをくれ!)」
と叫んでいたのだ。
それを見て私は「ブハラの子って怖い」と思ったのに。
彼らはのほほんと「ここの子供はひとなつこいね」なんて言えるのだ。
バングラディシュ人てば寛容だなあ。
・・・ところで、バングラディシュって、どこ。

そんなバングラディシュ人たちといっしょに、最終目的地サマルカンドへ出発。
ミニバスは最初1時間ほど観光地へ寄ったあと、一気にサマルカンドを目指し走りだした。
綿花畑と電線と、砂漠の間をバスは走った。
またしても360度の夕焼けが広がっていた。

数時間後。
うつらうつらしている私の耳に、ガイド君の声が聞こえてきた。
 「サマルカンドの町に入ったよ」
顔をあげて窓から町を見た。
ウルゲンチやブハラに比べ、サマルカンドは都会だった。
車が列をなしていてちょっとした渋滞だ。
バスは公園にさしかかり、日暮れ時の残照と電飾の光のなかに、ティムール王の銅像が見えた。
サマルカンドを青の都につくり上げた、大王ティムールだ。

来たよ。
やっと来た。
憧れの町サマルカンド。
赤いバラは咲いているだろうか。

・・・なあんて、感傷に浸りたいところだが。
現実はそうロマンチックにいかない。
サマルカンドの星空を見上げながら私が想っていたことは、
 「ああ、早くトイレに行きたい」
であった。
バスは6時間も走りっぱなしで、1回の休憩もないのだった。
バングラディシュの人々は、なぜみんな我慢していられるのだろうか。

サマルカンドでの宿は、民家を改造したペンション風ホテル。
ブハラの女将・ファティマが紹介してくれた宿だ。
だが、
 「ファティマが連絡をくれなかったもんだから」
と、宿の主人はしきりに恐縮した。
評判がいいのか、シーズンオフにもかかわらず、4つある客室はすべて埋まっていると言われたのだ。
主人のティムールはしきりに揉み手をしながら謝った。
 「ファティマはいい友達だし、かまわないんだけど・・・電話さえくれたら部屋を空けておいたんだけどね。
  こんな部屋しかなくて、本当にごめんなさい。」
案内されたのは地下の予備室だった。
清潔だが、トイレもシャワーもまともな灯りさえない部屋だ。
 「明日になったら、いい部屋があるから!
  今夜一晩だけ、我慢してね。ほんとゴメンね。」

その晩は美人の奥さんが夕食を用意してくれた。
居間兼食堂では、観光を終えた旅行者たちが集ってTVを見たりお茶を飲んだりしている。
アットホームな宿のこと、あっというまに会話の輪がった。
チェコ人の夫妻。
ドイツ人の男の子2人。
カナダ人の女一人旅。
そして日本人の私。
・・・チェコ人夫妻は英語が話せなかったので、お互いがお互いを通訳しながら、宿の主人家族も交え、しっちゃかめっちゃかな会話で盛り上がる。
私が日本人だと知ると、彼らは自分の知っている限りの日本語をならべて自慢しはじめた。「カラテ、ジュードー」「オカアサン」「コンニチハ」「チューイ」
そこで私も、
 「ドイツ語をしってるぞ」
と得意気に言ってやった。
 「グーテンモルゲン(おはよう)、グーテンターク(こんにちは)、イッヒ・リーベ・ディッヒ!(愛してる!)」
これにはドイツ人もチェコ人も馬鹿ウケであった。
世界中どこででも、ギャグ(なのか?)がウケると人は満足するものである。
その夜は真っ暗な地下室で寝なければならなかったが、心はなんだか幸せだった。


ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 23:57:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
「サマルカンドの赤いばら」に会いに
ウズベキスタン7日目。
私はようやくレギスタン広場に立つことができた。
レギスタンはサマルカンドの象徴だ。
ウズベキスタンの象徴、と言ってもいいかもしれない。
中央アジアのガイドブックには必ずレギスタンの写真が載る。
童話のお城を思わせる青いドームと、白い壁。
広場を囲む3つのメドレセが美しさを競いあっている。

昼のレギスタン広場


夜のレギスタン広場


夕暮れのレギスタン



こは私の旅の目的地でもあった。
朝日に照らされたレギスタンで私を待っていたのは、たくさんのバラだった。
広場じゅうバラの花園だ。ピンクや黄色や、花びらが幾重にもかさなりあうバラもあれば、野草を思わせる原種のシンプルなバラもある。
それにもちろん、真紅のバラ・・・『サマルカンドの赤いばら』も。

実を言うと、秋も深まる10月下旬のことで・・・そりゃあまあ、ある程度、いやかなり、枯れてはいたんだけれどね。
私のなかでは、恋こがれた赤いバラが咲き誇っていたことになっている。
サマルカンドの赤いばら


ウズベキスタン | 【2008-01-07(Mon) 14:29:17】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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