地震の話を続けて書いたら疲れたので、今日はちょっと一休み。
イスタンブールの公園に、ものすごくコワイ顔の犬が散歩にきていた。
あんまりコワイ顔なんで、子供などは遠巻きに眺めていたものだ。
「怖ぇよ・・・怖ぇよあの犬・・」
と囁きあいながら。
そのうち
「おまえ、この犬に触れるか?」
「えっ・・・」
「怖いんだろ、弱虫〜!」
「じゃあオマエこそ触ってこいよ!」
てな話になって、男の子が一人、そろそろと手をのばした。
その子に向かって、飼い主のオジサンは、
「大丈夫。アルトゥムシュは誇り高い犬だ。
自分より弱い者には手を出さないから安心しなさい」
と言った。

「ほんとだ、こいつ怖くなーい!」

たしかにアルトゥムシュは良い犬だった。
吠えることも、飛びかかることもなく、大人しくしていた。
だが、そのあと子供達にいじられまくった猛犬の顔は、ちょっぴり情けなかった。
>
「助けてください。」
イスタンブールの公園に、ものすごくコワイ顔の犬が散歩にきていた。
あんまりコワイ顔なんで、子供などは遠巻きに眺めていたものだ。
「怖ぇよ・・・怖ぇよあの犬・・」
と囁きあいながら。
そのうち
「おまえ、この犬に触れるか?」
「えっ・・・」
「怖いんだろ、弱虫〜!」
「じゃあオマエこそ触ってこいよ!」
てな話になって、男の子が一人、そろそろと手をのばした。
その子に向かって、飼い主のオジサンは、
「大丈夫。アルトゥムシュは誇り高い犬だ。
自分より弱い者には手を出さないから安心しなさい」
と言った。

「ほんとだ、こいつ怖くなーい!」

たしかにアルトゥムシュは良い犬だった。
吠えることも、飛びかかることもなく、大人しくしていた。
だが、そのあと子供達にいじられまくった猛犬の顔は、ちょっぴり情けなかった。
>「助けてください。」
(1)はこちら。
1999年8月17日。
イスタンブールで地震に遭うが、
「震度3」
とか言いながら呑気に構えていた私。
夜が明けるまでに大きな揺り返しが1回。
細かい有感地震は数えきれないほどあったものの、
「これくらい大丈夫」
ともう一度寝た。
でも・・・怖かった。
余震が怖いんじゃない。
揺れることが怖いんじゃなくて。
日記には、こう書いてある。
「気になるのは他の地域だ。
今は何も情報がないけれど、神戸のときみたいに、どこかの町が壊滅していたらと思うとゾッとする」
朝、トイレが流れないことに気がついた。
上水道も出なかったのでミネラル・ウォーターで顔を洗った。
宿のおじさんはつとめて陽気に、
「昨夜はビックリしたね!
もうじき修理できると思うから」
と言った。
町に出てみると、一見、何も変わらないように見えた。
ジャミィには観光客がぞろぞろと練り歩き、
子供達は絵葉書を売りつけようと騒ぎ、
絨毯屋が景気のいい声をあげている。
ふだん通りのイスタンブール。
朝刊にも地震のことはまだ載っていない。
政治家と色っぽいお姉ちゃんとサッカーの写真が大きく写っている。
それでいて、どこかがおかしい。
たとえば信号がぜんぶ消えている。
・・・信号は普段から無視されているので、交通に影響は無いのだが。
トラムも午前中は便が激減していた。
地下道にも明かりがついていない。
あのにぎやかなエジプシャン・バザールでさえ停電だ。
ロウソクや発電機をもってきて商売を続けている店もあるが、閉まっている店も多くて活気に欠ける。
石積みの塀などが壊れて落ちているところもあった。
だんだん不安が募ってくる。
トルコ人に尋ねても、
「かなり大きな地震だったらしい。
でもまだ詳しくは分らない」
と言う。
トルコ語の分らない私にはもっと情報が入ってこない。
結局、詳しいことを知ったのは翌日になってからだった。
TVのあるカフェに入って、ニュースを見ていた人たちに教えてもらった。
震源地はイズミットという町だ。
マグニチュードは6か7。
死者はすでに3500人。
「俺の友達がイズミットに住んでるんだ。
連絡がとれないんだ!」
と、おじさんは叫んだ。
電話は通じていなかった。
公衆電話は動いているのか、ずらーっと並んで行列ができる。
ああ、神戸のときと同じだ・・・。
家族が心配しているかもしれないと、私も列に並んでみたけれど、国際電話はいっさい繋がらなかった。
(まだつづく)
1999年8月17日。
イスタンブールで地震に遭うが、
「震度3」
とか言いながら呑気に構えていた私。
夜が明けるまでに大きな揺り返しが1回。
細かい有感地震は数えきれないほどあったものの、
「これくらい大丈夫」
ともう一度寝た。
でも・・・怖かった。
余震が怖いんじゃない。
揺れることが怖いんじゃなくて。
日記には、こう書いてある。
「気になるのは他の地域だ。
今は何も情報がないけれど、神戸のときみたいに、どこかの町が壊滅していたらと思うとゾッとする」
朝、トイレが流れないことに気がついた。
上水道も出なかったのでミネラル・ウォーターで顔を洗った。
宿のおじさんはつとめて陽気に、
「昨夜はビックリしたね!
もうじき修理できると思うから」
と言った。
町に出てみると、一見、何も変わらないように見えた。
ジャミィには観光客がぞろぞろと練り歩き、
子供達は絵葉書を売りつけようと騒ぎ、
絨毯屋が景気のいい声をあげている。
ふだん通りのイスタンブール。
朝刊にも地震のことはまだ載っていない。
政治家と色っぽいお姉ちゃんとサッカーの写真が大きく写っている。
それでいて、どこかがおかしい。
たとえば信号がぜんぶ消えている。
・・・信号は普段から無視されているので、交通に影響は無いのだが。
トラムも午前中は便が激減していた。
地下道にも明かりがついていない。
あのにぎやかなエジプシャン・バザールでさえ停電だ。
ロウソクや発電機をもってきて商売を続けている店もあるが、閉まっている店も多くて活気に欠ける。
石積みの塀などが壊れて落ちているところもあった。
だんだん不安が募ってくる。
トルコ人に尋ねても、
「かなり大きな地震だったらしい。
でもまだ詳しくは分らない」
と言う。
トルコ語の分らない私にはもっと情報が入ってこない。
結局、詳しいことを知ったのは翌日になってからだった。
TVのあるカフェに入って、ニュースを見ていた人たちに教えてもらった。
震源地はイズミットという町だ。
マグニチュードは6か7。
死者はすでに3500人。
「俺の友達がイズミットに住んでるんだ。
連絡がとれないんだ!」
と、おじさんは叫んだ。
電話は通じていなかった。
公衆電話は動いているのか、ずらーっと並んで行列ができる。
ああ、神戸のときと同じだ・・・。
家族が心配しているかもしれないと、私も列に並んでみたけれど、国際電話はいっさい繋がらなかった。
(まだつづく)
1999年の夏。
私はトルコにいた。
1ヶ月ほど滞在し、明日は帰国という、8月17日。
イスタンブールで地震に遭った。
その夜はなかなか寝つかれず、2時をまわってやっと眠りかけていたところだった。
静かな静かな夜の闇。
その闇の彼方から、まどろみの底から、不気味な音が・・・轟音が近づいてくる気配で目が覚めたのだ。
ゴーッと唸るような。
悪夢のような。
阪神淡路大震災のときにも聞いた。
あの音。
・・・地鳴りだ。
「来る!」
飛び起きたものの、逃げる余裕もなくて、頭から毛布を被ってうずくまった。
最初は小さく横に揺れ、それから大きな縦揺れになった。
「なんでトルコまで来て地震に遭わなアカンねん!」
私は暗闇の中で叫んでいた。
本気で怒っていた。
せっかく地震国ニッポンを脱出したというのに!
地震はかなり長いあいだ続いた。
だが、思ったほど大きくもない。
震度1、震度2、震度3・・・と頭の中で測定していたのに、「4」までいくか、いかないかで、揺れは止まった。
なあんだ。
たいしたこと、ないやん。
音ばっかりかい。
宿は安宿。
小さなシングル部屋で、家具もない。
ベッドと照明がガタガタ揺れただけだから、危険はほとんど感じなかった。
震度は3〜4。
これなら大丈夫。
だが周囲は大騒ぎになっていた!
安宿にはいろんな国の旅人が泊まっている。
地震に慣れない人のほうが多いのだ。
「大丈夫か! みんな無事か! 怪我人はいないか!」
いきなり仕切りだす欧米人。
「死ぬかと思った、死ぬかと思った、○×※Я$▲〜!」
パニックを起こして泣き出すアフリカ系の男。
「う〜ん、大丈夫だよね?」
「ちょっとびっくりしたけどね」
のんびり話してるのは、やはり日本人。
安全確認がすんだ頃、突然、明かりが落ちた。
停電だ。
さっきの男がまた泣きだしたようだ。
宿の裏でも、人々が騒いでいるのが聞こえてくる。
ざあざあと水がもれている音も聞こえる。
水道管でも破裂したのだろうか。
でも、私は寝ることにした。
建物は無事。
火の手もあがってない。
じゃ、朝までもう少し寝よう。
これくらいの揺れでみんな大袈裟だよな。
・・・なんて呑気だったのだろう。
そのとき、私はぜんぜん分っていなかったのだ。
(つづく)
私はトルコにいた。
1ヶ月ほど滞在し、明日は帰国という、8月17日。
イスタンブールで地震に遭った。
その夜はなかなか寝つかれず、2時をまわってやっと眠りかけていたところだった。
静かな静かな夜の闇。
その闇の彼方から、まどろみの底から、不気味な音が・・・轟音が近づいてくる気配で目が覚めたのだ。
ゴーッと唸るような。
悪夢のような。
阪神淡路大震災のときにも聞いた。
あの音。
・・・地鳴りだ。
「来る!」
飛び起きたものの、逃げる余裕もなくて、頭から毛布を被ってうずくまった。
最初は小さく横に揺れ、それから大きな縦揺れになった。
「なんでトルコまで来て地震に遭わなアカンねん!」
私は暗闇の中で叫んでいた。
本気で怒っていた。
せっかく地震国ニッポンを脱出したというのに!
地震はかなり長いあいだ続いた。
だが、思ったほど大きくもない。
震度1、震度2、震度3・・・と頭の中で測定していたのに、「4」までいくか、いかないかで、揺れは止まった。
なあんだ。
たいしたこと、ないやん。
音ばっかりかい。
宿は安宿。
小さなシングル部屋で、家具もない。
ベッドと照明がガタガタ揺れただけだから、危険はほとんど感じなかった。
震度は3〜4。
これなら大丈夫。
だが周囲は大騒ぎになっていた!
安宿にはいろんな国の旅人が泊まっている。
地震に慣れない人のほうが多いのだ。
「大丈夫か! みんな無事か! 怪我人はいないか!」
いきなり仕切りだす欧米人。
「死ぬかと思った、死ぬかと思った、○×※Я$▲〜!」
パニックを起こして泣き出すアフリカ系の男。
「う〜ん、大丈夫だよね?」
「ちょっとびっくりしたけどね」
のんびり話してるのは、やはり日本人。
安全確認がすんだ頃、突然、明かりが落ちた。
停電だ。
さっきの男がまた泣きだしたようだ。
宿の裏でも、人々が騒いでいるのが聞こえてくる。
ざあざあと水がもれている音も聞こえる。
水道管でも破裂したのだろうか。
でも、私は寝ることにした。
建物は無事。
火の手もあがってない。
じゃ、朝までもう少し寝よう。
これくらいの揺れでみんな大袈裟だよな。
・・・なんて呑気だったのだろう。
そのとき、私はぜんぜん分っていなかったのだ。
(つづく)
今朝、インドネシアのジャワ島で地震が起こったという。
現在わかっているだけでも死者は2700人を越えたという。
・・・ジャワ島には、以前、行ったことがある。
あれは障害者ツアーだった。
全身に障害のある妹を連れてボロブドゥール遺跡へ行ったのだ。
とはいえ、ボロブドゥールは階段だらけの小山のような寺院。
近くまでは行ったものの、
「車椅子では下から見ることしかできない」
と諦めていた。
よくあることなのだ。
ところが!
添乗員さんとガイドさん、それに、そこいらじゅうの人たちが寄ってたかって車椅子を担ぎあげ、とうとう妹は遺跡のてっぺんまでのぼりきってしまった。
妹の嬉しそうな顔を、私達家族はきっと一生忘れない。
・・・無事でいるだろうか。
あのとき車椅子を担いでくれた人たちは。
土産を買った店の人たちは。
ガイドさんは。
みんなみんな無事でいるだろうか。

助けてあげてください。神様。仏様。
現在わかっているだけでも死者は2700人を越えたという。
・・・ジャワ島には、以前、行ったことがある。
あれは障害者ツアーだった。
全身に障害のある妹を連れてボロブドゥール遺跡へ行ったのだ。
とはいえ、ボロブドゥールは階段だらけの小山のような寺院。
近くまでは行ったものの、
「車椅子では下から見ることしかできない」
と諦めていた。
よくあることなのだ。
ところが!
添乗員さんとガイドさん、それに、そこいらじゅうの人たちが寄ってたかって車椅子を担ぎあげ、とうとう妹は遺跡のてっぺんまでのぼりきってしまった。
妹の嬉しそうな顔を、私達家族はきっと一生忘れない。
・・・無事でいるだろうか。
あのとき車椅子を担いでくれた人たちは。
土産を買った店の人たちは。
ガイドさんは。
みんなみんな無事でいるだろうか。

助けてあげてください。神様。仏様。
昔、祖母からこんな話を聞いたことがあった。
「おじいちゃんはな、異国で働いてたことがあるんやで。
アラビアのほうでな。
給料がいいからって誘われたんやけど、50を過ぎてから外国で働くなんて、辛かっただろうにな。
家族のために頑張ってくれはったんやで」
とはいえ、私が生まれる前のこと。
私が物心ついた頃にはもう、祖父は病気で、歩くことも話すことも不自由な老人だった。
だから私には元気なおじいちゃんなんて想像もつかない。
ましてや外国でバリバリ働いてるおじいちゃんなんて。
しかし祖父母が亡くなって何年も経った最近になって、アルバムの中からこんな写真が出てきたのである。

ブルーモスクだ!
イスタンブールだ。
トルコの写真だ。
祖父は本当に、本当にトルコへ行っていたのだ。
私もイスタンブールには行ったことがあり、角度は違うものの同じような写真を撮ってきていた。

私は病気のおじいちゃんしか知らない。
体が辛いのか、イライラと怒っていたことしか覚えていない。
近寄りがたい怖い人だった。
だけど、
・・・何十年も前に、おじいちゃんは私と同じものを見ていたのだ。
同じモスクを見て、同じ道を歩いて、同じ海峡を渡って旅していたのだ。
そう思うとなんだか嬉しかった。
今なら、怖がらずに話ができるんだろうになあ・・・。
「おじいちゃんはな、異国で働いてたことがあるんやで。
アラビアのほうでな。
給料がいいからって誘われたんやけど、50を過ぎてから外国で働くなんて、辛かっただろうにな。
家族のために頑張ってくれはったんやで」
とはいえ、私が生まれる前のこと。
私が物心ついた頃にはもう、祖父は病気で、歩くことも話すことも不自由な老人だった。
だから私には元気なおじいちゃんなんて想像もつかない。
ましてや外国でバリバリ働いてるおじいちゃんなんて。
しかし祖父母が亡くなって何年も経った最近になって、アルバムの中からこんな写真が出てきたのである。

ブルーモスクだ!
イスタンブールだ。
トルコの写真だ。
祖父は本当に、本当にトルコへ行っていたのだ。
私もイスタンブールには行ったことがあり、角度は違うものの同じような写真を撮ってきていた。

私は病気のおじいちゃんしか知らない。
体が辛いのか、イライラと怒っていたことしか覚えていない。
近寄りがたい怖い人だった。
だけど、
・・・何十年も前に、おじいちゃんは私と同じものを見ていたのだ。
同じモスクを見て、同じ道を歩いて、同じ海峡を渡って旅していたのだ。
そう思うとなんだか嬉しかった。
今なら、怖がらずに話ができるんだろうになあ・・・。
皆さんはお土産って買いますか?
旅慣れた若人には
「買わなーい」
って言われるかもしれませんが。
私は、買います。
買わないと家に帰れません。
職場復帰も許されません。
それが義理人情に生きる日本人の宿命というものです。
家へのお土産は比較的簡単。
猫とか
(マレーシア)
猫とか
(バリ)
猫とか
(エジプト)
猫とか
(タイ)
猫さえ買って帰ればいいわけです。
ちなみに、最後の猫はお尻がキュートなんで買いました。

困るのは仕事仲間へのお土産。
一ヶ月も休んでおいて、手ぶらで復帰できるわけがない。
定番はやっぱり、大勢で食べられるお菓子でしょうか。
先進国なら美味しいお菓子も売っているけれど、アジアの国々ではそれも微妙。
スーパーで袋菓子を買って帰ったら
「これ、ドリアンやん! 臭い!」
ものすごく不評だったり。
荷物のこともあるので、私は結局、空港で買ってしまうことが多いです。
・・・しかも乗り継ぎの空港で。
ソウルに行ってないのに、韓国海苔とか。
カナダに行ってないのに、メープルクッキーとか。
ちなみに、今までで一番好評だったお土産は、
上海の空港で買ったリンツのチョコレートでした・・・。

旅慣れた若人には
「買わなーい」
って言われるかもしれませんが。
私は、買います。
買わないと家に帰れません。
職場復帰も許されません。
それが義理人情に生きる日本人の宿命というものです。
家へのお土産は比較的簡単。
猫とか
(マレーシア)猫とか
(バリ)猫とか
(エジプト)猫とか
(タイ)猫さえ買って帰ればいいわけです。
ちなみに、最後の猫はお尻がキュートなんで買いました。

困るのは仕事仲間へのお土産。
一ヶ月も休んでおいて、手ぶらで復帰できるわけがない。
定番はやっぱり、大勢で食べられるお菓子でしょうか。
先進国なら美味しいお菓子も売っているけれど、アジアの国々ではそれも微妙。
スーパーで袋菓子を買って帰ったら
「これ、ドリアンやん! 臭い!」
ものすごく不評だったり。
荷物のこともあるので、私は結局、空港で買ってしまうことが多いです。
・・・しかも乗り継ぎの空港で。
ソウルに行ってないのに、韓国海苔とか。
カナダに行ってないのに、メープルクッキーとか。
ちなみに、今までで一番好評だったお土産は、
上海の空港で買ったリンツのチョコレートでした・・・。

海外で、車がビュンビュン走る道なのに横断歩道が見つからない。
・・・なんてのは、よくあることだ。
道の向こうへ渡るタイミングが掴めず、右往左往してしまう。
・・・なんてのも、よくあることだ。
そこで一計。
現地の人と一緒に渡れば怖くない!
今にも渡ろうとしている人を見つけ、彼らと同時に渡っちゃえばいい!
・・・と考えるのも、よくあることだ。
いつも私はそうしてきた。
だが、マレーシアの首都クアラルンプールに着いた夜のこと。
「向こうへ渡りたいの?
じゃあ、ぼくが合図をしてあげるよ」
と親切に声をかけてくれたおじさんの、
「GO!」
の声を信じて道に飛び出したら。
目の前に、車が。
時速140キロくらいでぶっ飛ばしてる車が。
もうダメだと思った。
・・・お父さんお母さん、先立つ不幸をお許しだください。
反対側から見ていた妹も
「これは死んだな」
と思い、マレーシアだと火葬の手筈はどうするんだろうとまで考えたらしい。
だが車は、本当にあと10センチ、私の体スレスレのところを通りすぎていったのだ。
風圧とショックでよろめきながら戻った私は、いいかげんな合図を出したおじさんに
「殺す気か!」
と食ってかかった。
だが、彼はのんきに
「ちゃんと見てないと危ないよ、ハハハ」
・・・笑っていた。
あとで妹に
「おねえちゃん、あのね。
簡単に人を信じたらいけないんだよ」
と、説教を垂れられた。
そうなのです。
旅先で信じられるのは自分だけ。
その夜、私はちょっと悲しい現実を知ったのでございました。
・・・なんてのは、よくあることだ。
道の向こうへ渡るタイミングが掴めず、右往左往してしまう。
・・・なんてのも、よくあることだ。
そこで一計。
現地の人と一緒に渡れば怖くない!
今にも渡ろうとしている人を見つけ、彼らと同時に渡っちゃえばいい!
・・・と考えるのも、よくあることだ。
いつも私はそうしてきた。
だが、マレーシアの首都クアラルンプールに着いた夜のこと。
「向こうへ渡りたいの?
じゃあ、ぼくが合図をしてあげるよ」
と親切に声をかけてくれたおじさんの、
「GO!」
の声を信じて道に飛び出したら。
目の前に、車が。
時速140キロくらいでぶっ飛ばしてる車が。
もうダメだと思った。
・・・お父さんお母さん、先立つ不幸をお許しだください。
反対側から見ていた妹も
「これは死んだな」
と思い、マレーシアだと火葬の手筈はどうするんだろうとまで考えたらしい。
だが車は、本当にあと10センチ、私の体スレスレのところを通りすぎていったのだ。
風圧とショックでよろめきながら戻った私は、いいかげんな合図を出したおじさんに
「殺す気か!」
と食ってかかった。
だが、彼はのんきに
「ちゃんと見てないと危ないよ、ハハハ」
・・・笑っていた。
あとで妹に
「おねえちゃん、あのね。
簡単に人を信じたらいけないんだよ」
と、説教を垂れられた。
そうなのです。
旅先で信じられるのは自分だけ。
その夜、私はちょっと悲しい現実を知ったのでございました。
私はツアーでも行くし、友達と2人3人旅行にも行くけれど、やっぱり一人旅が好きだ。
そう言うと決まって
「一人旅って寂しくない?」
と、きいてくる人がいる。
本来ならば
「ぜんぜん平気!」
と答えるべきなのだろうが。
私は必ず
「寂しいで! むっちゃ寂しい!」
と言ってしまう。
実は私はかなりの寂しがりやだ。
一番寂しいのは空港の待合室。
乗ってしまえば、隣の人に話しかけたり、映画を見ることもできるが、待合室では何もすることがない。
フライトが遅れたことをグチグチ話す相手もいない。
一人ぼっちで、ただただひたすら
ぼーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
と過ごす、壮絶な空しさ。
あの退屈さはほとんど耐え難いくらいである。
それから食事。
安食堂でものすごく美味しい料理に出会っても、一人旅だと
「これ美味しいね!」
と肯きあう相手がいないのだ。
仕方が無いから、食堂のおばちゃんを捕まえて
「これ美味しい! 美味しいよ! 美味しいからマジで!」
を連発するのだが、おばちゃんも忙しいのであんまり相手をしてもらえなかったりすると、ちょっと寂しい。
それからトイレが困る。
一人だと交代で番をするわけにもいかないので、トイレの中まで荷物を持って入らなければならない。
邪魔だし、汚いトイレだと修羅場になってしまう。
・・・ああ、これは寂しいのとは関係ないか。
他にもデメリットはたくさんある。
失恋旅行と勘違いされるとか。
道端でつまずいて無様なポーズで倒れても、誰にもフォローしてもらえないとか。
でも、それをカバーして余りある良さが一人旅にはあるのだ。
・・・それは何だと問われたら、ちょっと答えに詰まるのだが。
自由気侭。
考える時間の多さ。
友達としゃべっている間に見過ごしてしまうものが、一人だからこそじっくり見えてくることもあるだろう。
寂しくない? ときいてくる友達に
「寂しいから、今度は一緒にインドに行こうや」
と誘うと、相手は必ず
「嫌」
と拒否する。
インドは本当に、女一人旅のひとが多かった。
そう言うと決まって
「一人旅って寂しくない?」
と、きいてくる人がいる。
本来ならば
「ぜんぜん平気!」
と答えるべきなのだろうが。
私は必ず
「寂しいで! むっちゃ寂しい!」
と言ってしまう。
実は私はかなりの寂しがりやだ。
一番寂しいのは空港の待合室。
乗ってしまえば、隣の人に話しかけたり、映画を見ることもできるが、待合室では何もすることがない。
フライトが遅れたことをグチグチ話す相手もいない。
一人ぼっちで、ただただひたすら
ぼーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
と過ごす、壮絶な空しさ。
あの退屈さはほとんど耐え難いくらいである。
それから食事。
安食堂でものすごく美味しい料理に出会っても、一人旅だと
「これ美味しいね!」
と肯きあう相手がいないのだ。
仕方が無いから、食堂のおばちゃんを捕まえて
「これ美味しい! 美味しいよ! 美味しいからマジで!」
を連発するのだが、おばちゃんも忙しいのであんまり相手をしてもらえなかったりすると、ちょっと寂しい。
それからトイレが困る。
一人だと交代で番をするわけにもいかないので、トイレの中まで荷物を持って入らなければならない。
邪魔だし、汚いトイレだと修羅場になってしまう。
・・・ああ、これは寂しいのとは関係ないか。
他にもデメリットはたくさんある。
失恋旅行と勘違いされるとか。
道端でつまずいて無様なポーズで倒れても、誰にもフォローしてもらえないとか。
でも、それをカバーして余りある良さが一人旅にはあるのだ。
・・・それは何だと問われたら、ちょっと答えに詰まるのだが。
自由気侭。
考える時間の多さ。
友達としゃべっている間に見過ごしてしまうものが、一人だからこそじっくり見えてくることもあるだろう。
寂しくない? ときいてくる友達に
「寂しいから、今度は一緒にインドに行こうや」
と誘うと、相手は必ず
「嫌」
と拒否する。
インドは本当に、女一人旅のひとが多かった。
先日、高野山に行きました。
金剛峯寺へ行きました。

GW中は観光客・・・いえ、参拝客が多かったのでしょう。
中には困った人もいるのでしょう。
注意をうながす張り紙が、たくさん張られておりました。
まず、入ったところにこんな注意が。
「拡声器禁止」

・・・うるさいですからねえ、拡声器。
お寺は静かなほうが良いです。
それから、小さな鐘のそばには、こんな注意が。
「叩くの禁止」

・・・2枚も張ってありました。
よっぽど叩く人が多いのでしょう。
このお寺は、珍しいことに台所まで公開しています。
2000人分ものご飯が炊ける釜とか。囲炉裏とか。
そして、水道のそばにはこんな注意が。
「お賽銭いれるの禁止」

水を見たら小銭を投げ入れたくなるのが人情?
でも・・・炊事場の水ですから。
ちなみに炊事場からは、お坊さんたちの棚(ロッカー?靴箱?)が丸見えになっているのですが。
ここにもこんな張り紙が。
「棚の上にものを置くの禁止」

・・・禁止だけど、置いてますねえ、スリッパ。
お坊さんも人間です。
もっとちなみに、トイレには注意書きではなく、真言が。
「オン、クロダノウ、ウンジャク」

えっと、・・・トイレしながら唱えるのん?
金剛峯寺へ行きました。

GW中は観光客・・・いえ、参拝客が多かったのでしょう。
中には困った人もいるのでしょう。
注意をうながす張り紙が、たくさん張られておりました。
まず、入ったところにこんな注意が。
「拡声器禁止」

・・・うるさいですからねえ、拡声器。
お寺は静かなほうが良いです。
それから、小さな鐘のそばには、こんな注意が。
「叩くの禁止」

・・・2枚も張ってありました。
よっぽど叩く人が多いのでしょう。
このお寺は、珍しいことに台所まで公開しています。
2000人分ものご飯が炊ける釜とか。囲炉裏とか。
そして、水道のそばにはこんな注意が。
「お賽銭いれるの禁止」

水を見たら小銭を投げ入れたくなるのが人情?
でも・・・炊事場の水ですから。
ちなみに炊事場からは、お坊さんたちの棚(ロッカー?靴箱?)が丸見えになっているのですが。
ここにもこんな張り紙が。
「棚の上にものを置くの禁止」

・・・禁止だけど、置いてますねえ、スリッパ。
お坊さんも人間です。
もっとちなみに、トイレには注意書きではなく、真言が。
「オン、クロダノウ、ウンジャク」

えっと、・・・トイレしながら唱えるのん?
ものすごく突然、ものすごくどうでもいいことを思い出した。
バンコクのMBKにあった和食の店。
ラーメン屋だったかもしれない。
店の名前が日本語で
『8番』
ポスターの日本語もどこか得意げで、
「8番!これが8番の味!」
・・・なんで?
なんで8番?
なんで1番や2番や3番や4番(以下略)じゃなくて、8番なの?
店の前を通るたびに気になって仕方が無かった。
あの店、今でもあるんだろうか。
バンコクのMBKにあった和食の店。
ラーメン屋だったかもしれない。
店の名前が日本語で
『8番』
ポスターの日本語もどこか得意げで、
「8番!これが8番の味!」
・・・なんで?
なんで8番?
なんで1番や2番や3番や4番(以下略)じゃなくて、8番なの?
店の前を通るたびに気になって仕方が無かった。
あの店、今でもあるんだろうか。


















