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だだ

Author:だだ
方向音痴で胃腸虚弱で臆病者の旅行好き

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ついでの旅モロッコ(4)シャウエンの朝夕
山へつづく道を登ってゆくと、町が眼下にみおろせた。
まるで絵本をひらいたようだ。

丘の上から

ときをつくる鶏の声、犬のワンワン吠える声、赤ん坊の泣き声、鍛冶屋の音、サッカーをする子供達の掛け声。
すべての音が雪をかぶった山に吸い込まれていく。
空気は静かに澄み渡る。
朝日をあびたシャウエンの町は、葉っぱのうえの水滴のように輝いている。

その日の夕方。
宿のウェイターが
 「夕日がきれいだよ。見なさい、あの色を」
と空を指さした。
彼の仕事はヒマである。
私しか客がいないのだから当然だが。
日がな一日ドアのところに突っ立って外を眺めていた。
・・・外を。
通りのむこうに広がる緩やかな谷を。

彼はこの景色を毎日眺めているのだけれど、
毎日「美しい」と思っているのだった。
毎日眺めて、それでも飽かない美しさ。
日常に感動できること。
それはとても大事なことに思えた。

「心が洗われる」ってよく言うけれど、
私はシャウエンで肺の中まで洗われた。
エジプトの砂埃をかぶり、フェズの迷路で詰っていたものが、
するどく冴えた山の空気できっぱり洗い清められたようだ。

雪も降ったし

ただし、しっかり風邪をひいてしまった。



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モロッコ | 【2007-02-28(Wed) 21:00:28】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ついでの旅モロッコ(3) シャウエン
巨大迷路はもう懲りた。
田舎へ行こう。
きれいな空気を吸いにいこう。

そう思いついてバスに乗り、シャウエンという町へ行ってみた。
バスはがたごと揺れながら山道をのぼり、急なカーブを曲がりきると、パッと明るい町にでた。
白く明るい。
小さな町だ。
可愛い町だ。
山のひだに隠された隠れ里のよう。

喧騒のカイロと巨大迷路の町フェズのあとで訪れたこのシャウエンは、すばらしく美しい町だった。
地中海沿岸を思わせる、白と青の世界(いや地中海行ったことないけどさ)。
ここのメディナは怖くない 青い道


陽が傾くと、シャウエンの青は深くなるようだ。
幻想的な青と白のコントラスト。
なんてメルヘンチックな景色なのだ。
まるで深い湖のような、
鍾乳洞にいるような、
雪と氷でできているかのような、寒さ。

そうなのだ。
寒いのだ。
ものすごく。
みぞれまじりの雨まで降って。

旅先で降られると悲しいものだ。
そのうえ寒いときたもんだ。
みじめな気分で帰ってくると、宿のおっちゃんが
 「これは恵みの雨、3ヵ月ぶりの雨なんだよ。
  今年は雨が少なくて困ってたんだ。
  モロッコは今ハッピーだ」
とにこにこして言った。
私はものすごくアンハッピーな気分だったが、口には出せなかった。
 「明日を楽しみにしていなさい。
  山には雪が積もるだろう」
と彼は言った。



モロッコ | 【2007-02-27(Tue) 21:00:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
迷路の妖精
フェズのメディナはすんごい迷路だ。

迷って迷って、迷いつづけて
ぐるぐるぐるぐる、まわりつづけて

フェズの迷路で


壁にぶつかり
道を阻まれ
それでもずんずん歩いていくと、
白いきれいな猫に出会った。
妖精のように白い猫だった。

迷路のなかで白猫に出会った


迷子・道草・遠回り。
歩いたおかげでこの子に会えた。

旅とは迷うことなのだ。
旅とは歩くことなのだ。
たぶん。
きっと。
 

(フェズ/モロッコ)

モロッコ | 【2007-02-26(Mon) 21:00:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ついでの旅モロッコ(2) 迷路
以前、友達とこんな会話をかわしたことがある。
 「へえモロッコに行くの? どんなとこ?」
 「町が迷路みたいにややこしいらしいよ。みんな迷子になるんだって」
すると友達は笑って言った。
 「あんたはどこででも道に迷うから、おんなじやろ!」

ぜんぜん、違う!

私はたしかに迷うのが得意だ。
ひょっとしたら天才かもしれない。
でも、今まではどんなに迷っても平気だった。怖くなかった。
なんとかなるだろうと思っていた。

だけどモロッコの迷路は、違う!

初めて訪れたモロッコのメディナ(旧市街)。
フェズ・エル・バリ。
3秒で迷子。
そのまんま餓死。

いや、それくらいすごい巨大迷路だったのだ。
まがりくねった細い道。
細くて暗くて、狭い道。
両側の壁が倒れてきそう。
無数の小路が血管のように入り組んで、
広がったりつながったり、行き止まったりしているのだ。
そこを大勢の人々が流れていく。
大荷物を抱えたおじさんが歩いていく。
子供が走る。
物乞いが座りこむ。
早歩きのおばあちゃんに抜かされる。
通勤ラッシュ・市場ラッシュはけっこうすごい!
いっぱいに荷を積んだロバが通ると道はふさがれ、身を横にしなければ通り抜けられない。
それは生きた迷路だった。

なんとたくさんの道だろう。
なんとたくさんの人だろう。
私は迷路にとじこめられた。
人と道とにとじこめられた。

見上げれば空も狭かった。
砂色の古い壁にはさまれ、細くのぞいているだけだ。

細く狭い道

窮屈そうな空を見上げて私は窒息しそうになった。
ひょっとすると閉所恐怖症の気があるのかもしれない。
出口がなくて苦しくて、そのへんのひとに道をきいたら、たまたま絨毯屋だった。
あやうく買わされるところだった。




モロッコ | 【2007-02-26(Mon) 21:00:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ついでの旅モロッコ(1) とりあえずフェズ
1月24日。
モロッコに着いた。
着いたけど。
なんにも考えちゃいなかった。
日本を出るとき、頭の中はエジプトでいっぱいだったから。
そのあとのモロッコのことまで計画をたてる余裕がなかった。
とりあえずどこへ泊まろうか、そんなことを考えていたら入国審査で止められた。
 「なぜエジプトからなんだ?」
 「エジプト観光をしていたので」
 「なぜエジプトへ行っていたんだ?」
 「ピラミッドを見たかったので」
 「なぜ一人でモロッコへ来たんだ?」
・・・なぜと言われましても!
答えに詰っていると警察へ引っ張って行かれた。
なんだか知らない容疑を晴らすために1時間ほど費やした。
一人旅は犯罪なのかと、ちょっと議論した。

なんとか入国したものの。
どこへ行くかはまだ未定。
とりあえずカサブランカの鉄道駅へ行き、
とりあえずひとやすみしていたら、列車が来た。
行き先は「Fez」。
フェズ。
フェズ。
なんか聞いたことのある地名。
とりあえずそれに乗ってみた。

カサブランカを出てしばらくは遠くに海が見えていた。
水平線だ。
大西洋だ。
明るいブルーにきらめく海は、やがて緑の野原に変わる。
なだらかな丘と草をはむヒツジ、まばらな森。

森の木々がサボテンに変わる頃、夕暮れの時刻がやってきた。
モロッコは「マグレブ」と呼ばれる地域に属している。
「日の没するところ」という意味だ。
赤い地平線へキラキラ沈んでいく夕日。
これがマグレブの夕日か。
マグレブの黄金なのか。
列車の影は楽しげに荒野を走り抜けていく。

列車の影

・・・で。
夕映えの中を走破して。
着いてみたらば、真っ暗け。
もう夜だった。
宿探し、面倒くさいなと思っていたところ
 「ぼく、宿屋の客引きなんだけど?」
と若い男に声をかけられた。
その男の子が・・・可愛かったのだ!
今思い出しても、モロッコにいた2週間の中で彼が一番可愛い坊やだった。
別に下心があったわけじゃないけどさ。
おばちゃんもねえ、可愛い子には弱いのよ。
一も二もなくついていく。
その坊やが宿屋の客引きのほかにガイドの紹介なんかもやっていて
翌日がっぽりボラれたことは、ちょっと忘れることにしている。



モロッコ | 【2007-02-25(Sun) 23:06:27】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(15) 旅の終わりと歌うエレベーター
1月23日、カイロ博物館を最後にエジプト旅行は終了した。
ここからは別行動になる。
家族たちは日本へ帰り、私は一人でモロッコへ。
……母と妹達だけで帰らせるのはかなり不安だったが、
(当初は直行便で、ヘルパーさんにも来てもらう予定だったから、私が抜けても大丈夫だろうと気楽に考えていたのだ)
今更、予定を変えられない。

で、エジプト観光が終わったのが1月23日。
モロッコ行きのフライトは24日。
一晩だけはカイロで宿をとらねばならなかった。
旅行会社で予約することもできたが、まさか五つ星ホテルに一人で泊まる勇気はなくて
 「自分で安宿を探します」
と言っていたのだが。
現地ガイドのFさんが親切な方で、
 「うちでよければ泊まっていいよ」
と言ってくださった。

連れられてきたのはカイロでも比較的上等な住宅のならぶ地区。
シンプルできれいな、普通のマンションだ。
それでもFさんは
 「家賃は日本と変わらないほど高いのに、とても人間の棲家じゃないのよ!」
と住宅事情の酷さを語りながらマンションのエレベーターのボタンを押した。
そのとたん!
エレベーターが歌いだした!
 「★Ш④※×М&△◎……!」
男の声で、もちろんアラビア語で、元気のいい歌声が流れはじめたのだ。
な、な、なんですかこれは!?
 「何って、コーランの一説だよ」
とクールな様子で答えるFさん。
 「なんだか知らないけど、動くたびに歌うんだよねー。
  ボタンを押しても押してもこれが聞こえてこない時は、
  『あ、壊れたな』
  って分るわけ」
エレベーターまでコーランを読むのか。
ムスリムなエレベーターは、私達を降ろすとまたにぎやかに歌いながら下の階へと降りていった。

人間の住むところじゃないとFさんはさんざん毒づいていたけれど。
必死の掃除の甲斐あってか、
電気の通ってないコンセントがいっぱいあることとか、
新品のはずなのに壊れてる電気製品がいっぱいあることとか、
すぐ隣にモスクがあって、毎朝5時のアザーンで叩き起こされることとか、
そんなことを除けば十分人間の住めるマンションだったように思う。

翌朝。
母からメールが届いていた。
 「無事に帰り着いたよ!
  機内ではみんなよく寝て楽だった」
なんだかとてもほっとした。
そしてこのメールを最後に夢の旅行は終わりを告げた。
家族旅行は終わったのだ。
……私の旅が、始まった。

→モロッコ旅行記へつづく


エジプト(2007年) | 【2007-02-25(Sun) 21:00:38】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(14) 余談・その2
私は若い。
まだ若い。
気持は若い。

若いが、私は腰痛もちだ。
貴重品ベルトは持っていないが、腰痛ベルトは締めている。

こんな私にとって一番恐ろしい事態は、
泥棒にあうことでも下痢に倒れることでもなく、
旅先でギックリ痛に見舞われることだ。
あれ、動けないから。
二進も三進もいかないから。
毎日毎日、用心してた。

だから、ルクソールのある朝
 「こ、こ、腰が!
  腰痛だー!」
と呻きつつガイドさんが倒れたときはびっくりした。
まさかガイドさんのお世話をすることになるとは。
旅って、いろんなことがある。
痛み止め持ってきてよかった。

エジプト(2007年) | 【2007-02-23(Fri) 21:43:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(13) 余談・その1
ルクソールではたくさんの馬車が客待ちをしていた。
もちろん目当ては観光客だ。
道を歩けば
 「馬車に乗らないか?」
とよく誘われたものだ。
 「バシャ! バシャ! ワンダラー!」
だが車椅をどうやって馬車に乗せるつもりなのかは、謎。

馬車屋や土産物屋は、観光客の気をひくために知っているかぎりの日本語を並べる。
 「カワサキ!」
 「シャチョウ!」
 「バサールでゴザール!」
 「ヤマモトヤマ!」
もう20年くらい流行りは変わっていないだろう。
ところが、ある馬車屋は図々しくもこう言ってきた。

 「My name is、キムタク
  What's your name ?」

・・・あんたがキムタクなら、

 「My name is ダンレイ!」

と返したことは言うまでもない。


エジプト(2007年) | 【2007-02-22(Thu) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(12) カイロ博物館
エジプト観光最後の日。
トリを飾るのは、カイロ考古学博物館だ。
博物館は泊まっていたホテルの目の前にある。
道路を渡れば徒歩1分。
ほんまに目の前・・・なのだが。

渡れねー!

あの道路。
ラムセスヒルトンの前の交差点。
2年前にもチャレンジしてみた。
2年前にも無理だった。
前にも書いたが、カイロの道路はクレイジー。
車が多い。
信号が無い。
絶対止まってもらえない。
歩行者は、轢いとけ。
車椅子でも、たぶん轢く。
容赦が無い。

命が惜しいのでバスに乗って渡った。
 「椿はミイラ見ないからね!」
と宣言する子をひきつれて。

しかし。
ミイラを見ようが見るまいが。
子供にとって博物館という所は、
古い古い石像が沈黙して並んでいる博物館というものは、
そりゃあ不気味な所なのだ。
しかも子供というやつは。
見えてはならないモノまで見えて。
 「こーわーいー!」
としがみついてきた。
 「○○○がいるー!」
・・・私まで怖くなったりもして。

気のせい、気のせい。
ほーらアヌビス。
ワンちゃんだよ。
可愛いでしょ?
なんて、誤魔化したりして。

そうして、ついにたどり着く。
カイロ博物館の目玉。
エジプト観光の目玉。
ツタンカーメンの黄金のマスク!
U子の大好きなテレビ番組に何度も何度も登場した、
憧れの人・ツタンカーメンである。

ピラミッドの時と同じように、U子はまた、なんにも言えなかった。
声をだすこともできなかったのだ。
母が
 「あらあら、泣きそうな顔してるよ」
と微笑んで言った。
ツタンカーメンの黄金のマスクは何千年も前からずっとあって、
何千年先までずっと輝きつづけるだろう。
だけど長い長い歴史の中で、
あの日あの時あの一瞬・・・あの一瞬だけ、私達のために時間割いてくれたように思えた。
U子を待っていてくれたように思えた。

大感動の大人たちをよそに
 「こーわーいー!」
相変らず黄金のマスクにに近づくことすらままならぬ椿。
白目がちな顔がコワイらしい。
後ろに回るとようやく泣き止み、
 「どうしてこのひと髪の毛を結んでるの?」
黄金のマスクの髪型に注目していた。
 「みつあみにしてるの」
よくみたら、たしかにツタンカーメンの後姿はちょっと可愛かった。

そのあと竹内海南江になりきって、
 「そこではここでクエスチョン!」
と、『世界ふしぎ発見!』ごっこをしたなんてのは、ナイショだ。

エジプト(2007年) | 【2007-02-21(Wed) 21:00:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(11) 袖摺りあうも旅人の縁
6日目。
カイロへ戻り、サッカラとダハシュールのピラミッドめぐり。
手伝ってくれたのは、旅行会社のスタッフであるSさんだ。
これは…赤のピラミッドかな?

U子の車椅子を押しつつ・・・椿の肩車までしつつ。
なんだかエライことに。
お世話になりました。

夜はナイル川クルーズだ。
船の中でゴハンを食べつつ、ベリーダンスショーを観るというもの。
 「ダンス!ダンス!ダンスみるの!」
わくわくしながら開演を待つ椿。
だが、ベリーダンスというものは、お姉さんがおヘソを出してくねくねと腰をふる色っぽいもの。
あんまり子供むきとは言えない。
椿は石仏のように固まっていたが、それはそれで楽しんでいたようだ。
ダンサーのお姉さんといっしょに撮った記念写真を大事そうに胸にかかえて
 「これ!」
ガイドさんに見せにいったから。

さて、このときのU子がまた、大変だった。
日本を出てから1週間。
疲れがたまってきたのだろう。
もう限界に近かった。

ダンスショーの帰り際、白人のおばさんがU子に話しかけてきた。
 「こんにちは!
  ショーは楽しかった?
  私の子供も、あなたと同じような病気でね。
  あなたと同じように車椅子で・・・5ヶ月前に死んでしまったのだけれど」
おばさんはそう言って写真を見せてくれた。
黒人の男の子だった。
きっと養子だったのだろう。
明るい笑顔の男の子。
 「あなたを見るとあの子を思い出して、声をかけずにはいられなかったの。
  楽しい笑い声がここまで聞こえてきたわ。
  でも、もうちょっと良い子にしないとね。
  じゃあ、良い旅を!」

笑い声じゃなくて発作寸前だったんですとは、ちょっと、言えなかった。


エジプト(2007年) | 【2007-02-20(Tue) 21:00:33】 | Trackback:(1) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(10) メディネト・ハブ
5日目。
2つの遺跡を訪れた。

一つはハトシェプスト葬祭殿。
壮麗でモダンなつくりの遺跡である。
U子とアフメド君
(階段の横にスロープが! ハトシェプスト万歳!)

もう一つはメディネト・ハブ神殿。
こちらは一般的なツアーには組まれていないことが多い。
メディネト・ハブはラムセス3世の葬祭殿とも呼ばれている。

当たり前だが、遺跡にもいろいろある。
ピラミッドのようにその大きさで圧倒されるものもあれば、
思わず見惚れてしまうほど美しいもの、
崩れ果てていても大きな歴史のうねりを感じさせるもの。
メディネト・ハブは、写真を撮るより壁画を観るより、
まずは目をとじて耳を傾けてしまう遺跡だった。

観光客が少ないせいかもしれない。
静かだった。
静かな静かな空間だった。
青空の見える中庭。
柱に囲まれた回廊。
そして、たくさんたくさんの文字。
刻まれたヒエログリフ。
埋めつくすようなたくさんの言葉たち。

たくさんの絵と言葉

文字は心だ。
文章は声だ。
そう思うせいだろうか。
深く深く刻まれた文字は、何千年経ってもなお、見る者に語りかけてくるように思えた。
回廊に立ち止まり、じっと耳をすませていると、ヒエログリフの語る声が・・・古代人のざわめきが、
微風にのって聞こえてくる。
メディネト・ハブはそんな雰囲気のある遺跡だ。

相変らず、U子は幸せそうだった。
懸命に顔をあげ、目をひらいて、見られる限りのものを観ようとしていた。
声をあげて笑い、体中で喜びを表現した。

U子が一番喜んだのはガイドさんの解説だ。
知的障害のある人や意思表示の難しい人は、
 「この人は何も分らない」
と周囲から誤解されることがある。
でも、何も言えなくても、黙っているだけの人でも、
実はちゃんと理解していることもあるのだ。
それは小さな子供が大人の話を意外なほど理解しているのと同じ。
U子だってうまく話せないし、文字を書くことも計算することもできないが、
そのくせエジプトの歴史については私より詳しい。

ルクソールの現地ガイドは本物の考古学者だったから、きわめて熱心に、どこまでも詳細に解説してくれた。
U子はますます喜んだ。
真剣に耳を傾けた。
自分が歴史的な場所にいることを教えられ、確認することを喜んでいた。


エジプト(2007年) | 【2007-02-19(Mon) 13:10:44】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子でエジプトへ(9) ミイラブーム
エジプトへ行くにあたって、4才の椿にはいろいろと教えこんでいた。
ピラミッド。
スフィンクス。
アヌビス神。
アテン神。
それからもちろん、ツタンカーメン。

だが椿の一番に気に入ったものは「ミイラ」だった。
図書館で借りた絵本に

ミイラの作り方が詳細に描かれていたのである。

 死者の内臓を取り出し・・・
 遺体を塩漬けにしたあと包帯で巻き・・・。

教育上どうなのよ、ミイラの作り方って。

ちゃんと理解していたとは思えないが、
どういうわけか、うちの4才児はミイラにはまってしまったのだ。

 「今日はミイラ見るの?」
 「明日はミイラ見るの?」
 「ミイラは?」
 「ミイラは?」
 「これミイラになっちゃうの?」

ミイラに憧れる4才児って、どうなのよ。

ルクソール博物館ではとうとう本物のミイラに会えることになり。
 「椿、おいで! ミイラだよ!」
呼べば走っていく椿。
母親に抱きあげられて、ついに!
憧れのミイラとご対面!
 「ほら、どう? 本物のミイラ!」
 「こーわーいー!」

わんわん泣き出して、すこし、ほっとした。
こうして椿のミイラブームは終わった。



エジプト(2007年) | 【2007-02-18(Sun) 21:00:58】 | Trackback:(1) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(8) 復調・快調・絶好調!
4日目。
カルナック神殿、ルクソール神殿、そしてルクソール博物館。
この日はたっぷり観光することができた。

たくさん眠ったせいだろう。
U子はすっかり絶好調!
やっと慣れてきたのかもしれない。
笑いっぱなしの一日だった。
嬉しくって。
楽しくって。
車椅子からずり落ちそうなほどに笑っていた。
あんなにハッピーなU子の笑顔は、エジプトへ来てから・・・というより、
今までの人生でもほとんど初めて見たくらいだ。
幸せそうだった。
幸せそうに笑っていた。
私達も幸せだった。

椿はカルナック神殿の羊のスフィンクスを見て
羊のスフィンクス

「メリーさんの羊」を熱唱・・・。


エジプト(2007年) | 【2007-02-17(Sat) 21:00:25】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(7) 呪い?
飛行機の関係で、この日だけはハードスケジュールを免れない。
朝はなんと2時半起き!
6時のフライトでルクソールへ飛ぶ。
いざ、王家の谷へ!

さて、歩けないU子にはバスの乗り降りひとつにしても抱っこしてくれる男性が必要なため、この3日目以降はエジプト人男性を雇っていた。
アフマド君という若者だ。
介助についてはまったくの素人ながら、一生懸命はたらいてくれた。
彼がいなければルクソールでは何も観られなかっただろう。

王家の谷へ入るには「タフタフ」と呼ばれるチューチュートレインに乗らなければならないし、
遺跡の中は例外なくガタガタなものだし、
それになにしろツタンカーメンの墓ときたら!
洞窟のように狭くて急な長い階段をずーっと降りていかなければならないのだ。
私は2年前に下見に来たときに
 「U子には無理だろう」
とあきらめていた。
ところが、こここそアフマド君の本領発揮だ。
U子をひょいと担ぎあげ、そのものすごい階段を、抱っこしたまま降りてくれた。
・・・見ててハラハラしたけどな。

一番奥の玄室に着くと、私はアフマド君と交替してU子を木の手すりにもたせかけた。
美しい壁画が描かれた下に、大きな石棺が横たわっている。
 「この棺の下にツタンカーメンのミイラが眠ってるんだよ」
と言うと、U子はニンマリ笑った。
ニンマリと。
ただ一度だけ。

このときすでに、U子は体調を崩していたのだ。
だいぶ具合が悪かった。
墓から出てきた時にはオシリス神のように顔が真っ青になっていた。
さては早起きをして疲れたか。
階段で緊張しすぎたのか。
それとも、これがツタンカーメンの呪いというやつか!?
・・・なんて、冗談を言える雰囲気ではない。
それほどU子の状態は悪かった。
予定していたハトシェプスト神殿の観光を延期にして、昼前だというのにホテルへ入り、午後はひたすら眠らせた。



エジプト(2007年) | 【2007-02-16(Fri) 21:04:22】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ちょっと休憩
エジプト旅行記が長くなってきたので、ちょっと休憩。
ハーン・ハリーリの猫。

ハーン・ハリーリの猫

店のおじさんといっしょに客待ち顔。
 「観光客、来ねーなー・・・」

エジプト(2007年) | 【2007-02-15(Thu) 14:10:45】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(6) Dream Come True
 「ピラミッドの真下まで行きたい」
私とR子と現地ガイドのMちゃんと。
3人がかりで車椅子を押したり持ち上げたりして、ガタガタの地面と格闘した。
時には後輪だけで走らせ、時には段差を越えながら。
U子はますます体を強張らせながら。
必死の思いでたどりついた。
ピラミッドのふもとへ。

夢のピラミッドを目にしても、U子の反応は鈍かった。
身体を強張らせうつむいたまま。
 「来たよ!ピラミッド!」
顎を支えてやるとようやくニッコリ微笑んだ。
嬉しくて嬉しくてたまらないのだが、嬉しすぎて現実感がなかったと、
 「夢の中にいるみたいで」
とあとで語っていた。

私もなんだかふしぎな気持ちだった。
ピラミッドに来るのは3度目だ。
最初は一人で。
2度目は友達と。
そして3度目は家族と・・・U子と。
母や妹達と、ちっちゃい椿まで一緒になって、ぽかんとピラミッドを見上げている。

シンジラレナイ。
ピラミッドニ来チャッタヨ!

ピラミッドの真下から

ぼんやりしたまま
 「ピラミッドは私達の夢だったんですよ」
と話すと、現地ガイドのMちゃんが、にっこり微笑ってこう言った。
 「Dream Come True!」
・・・ドリーム・カム・トゥルー。
この言葉は私には縁遠いものだった。
小説の中か、せいぜいアーティストのグループ名にすぎないと思っていた。
他人のための言葉だった。
その言葉がMちゃんの口から出てきたことで、私はちょっとびっくりしたくらいだ。
 「Dream Come True!」
ああ、そうか。
夢が叶ったんだ。

だが感動にうち震えてるヒマはない。
歓声をあげて走りまわる椿を捕まえておくのがたいへんだったからだ。
4才児にとってピラミッドはでっかい「お山」。
広がる砂漠はでっかい公園みたいなもんだ。
 「みんなで遊びに来れて嬉しいね!」
うん。
みんなで来れて、嬉しいね。

ちなみに、オーパーツだとか宇宙人が作ったとか、好きなことを言われているピラミッド。
クフ王の玄室では必ずと言っていいほどミステリアスな人々に出会う。
前回私がのぼった時は、祈りを唱えつつつ宇宙人と交信を試みているグループがいた。
今回のぼったR子の話によれば、
 「白人のおばちゃんがものすごいエビぞりをしていた」
らしい。
ミステリアスなピラミッド、私達の夢のピラミッドは、オカルトの聖地でもあるのだ。



エジプト(2007年) | 【2007-02-14(Wed) 20:53:30】 | Trackback:(0) | Comments:(4)
車椅子とエジプトへ(5) ピラミッドへ!
エジプト2日目。
いよいよ観光が始まった。
夢のピラミッドとご対面である。

ピラミッドの待つギザ台地まで約13キロ。
カイロの道路事情はとんでもなくクレイジーだが、
私達のマイクロバスは運よく渋滞にもはまらず順調に走っていった。

そうして走るうちに、バスの左の窓から・・・見えたのだ。
青く霞んだ三角の影が。
 「うわあ、見えた!」
母が声をあげる。
 「どこどこ?」
R子が首をのばす。
現代的なビルのならぶ向こう、汚い窓と四角い屋根のむこうに、ピラミッドの先っちょが覗いていた。
本当はまだ顔を見せたくないのだけれど、あまりにも巨きいので頭だけ出てしまったかのように。

最後の角を曲がると目の前に。
すぐそこに。
クフ王のピラミッドがそびえていた。
私は隣に座っていた椿にこう教えたことを覚えている。
 「見てごらん。あのお山がピラミッドだよ」
まさに『山』と呼ぶのにふさわしい大きさだ。
天空を突き刺し、真昼の太陽に届くくらいの大きさだ。
これを人間がつくったのだ。
古代の人間がつくったのだ。

チケット売り場を通りぬけ、バスから降りて、いよいよピラミッドに近づいていく。
・・・なのだが。
予期していたとおり。
覚悟していたとおり。
地面はガタガタ。
車椅子、ガタガタ。
ギザのピラミッドは固い岩盤の上に建てられている。
そのおかげで何千年も保たれているのだが、逆に言えば、この黒い岩肌を数十メートル走破しなければ真下までたどりつけない。
歩くぶんには平坦な岩場でも、車椅子には溝や段差だらけのとんでもない悪路なのだ。
ギザギザのギザ台地。
 「どうします? ここから見るだけにしますか?」
ガイドのFさんに訊かれた。
私はもちろん即答した。
 「いや、頑張って真下まで行きます!
  U子、ピラミッドに触りたいよね?」

U子はずっとうつむいていた。
(顔をまっすぐ上げることがちょっとした苦労なのだ)
車窓からの風景など何も見えなかったらしい。
バスを降りてはじめてピラミッドに対面したが、感情を表す余裕はまだなかった。
ただ、ガチガチに緊張していた。
興奮すると体中が強張る。
エジプトにきたこと、ピラミッドを見られること、エジプト人のドライバーさんに抱っこされてバスを乗り降りすること。
聞き慣れない音、言葉、匂い。
全てのこと興奮し、緊張し、いっぱいいっぱいだったらしい。
それでも私が
 「ピラミッドの石に触りたいよね?」
と問いかけたときは、
 「うん」
小さい声で返事をした。



エジプト(2007年) | 【2007-02-13(Tue) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子でエジプトへ(4) 1日目
エジプトに着いたのは午後1時くらいだったが、超ゆったりプラン故、
その日もあとはなんの観光予定もなく、日程表には
 「ホテルにてごゆっくりおくつろぎ下さい」
と書かれているのみ。
ホテルでごゆっくりおくつろぎ。
試みてはみたけれど・・・じっとはしていられなかった。
 「リゾットが食べたい!」

泊まっていたのはカイロのラムセス・ヒルトン。
日本人ツアーの常宿である。
すぐ隣にはヒルトンセンターというショッピングモールがあり、
そこのイタリアンレストランのリゾットが絶品であることを、私は2年前に来て知っていた。
あのリゾットをもう一度食べたい!

家族みんなを引き連れてぞろぞろ歩いて行ってみた。
 「何階?」
 「さっきチラシに2階って書いてあったよ」
エレベーターで2階へ昇る。
だがそこに目指すレストランはなかった。
 「3階の間違いだったかな?」
昇ってみた。
3階にもなかった。
 「じゃあ4階は?」
 「5階は?」
 「6階は?」
全ての階を調べ、念のため1階に戻って確認したが、それでも見つからない。
 「つぶれたんじゃないの?」
 「そんなはずないよ。チラシ配ってたんだよ?」
 「もう一度2階を見てみようか」
2階に戻ってみた。
そしたら。
 「さっきと違う!」
見たことのないフロアが現れた!
一体どういうことだろう?
さっきと同じエレベーター、さっきと同じ2階のはず。
なのに。
エレベーターを降りるとすぐそこにイタリアンレストランが!
さっきは絶対に無かったぞ、なぜだ!?

この謎は今も解けていない。
狐に騙されたような気分だったが、レストランは現実にそこにあって、リゾットは相変らず激ウマだった。
これからエジプトへ向かう方、ラムセス・ヒルトンにお泊りの際は是非、謎のエレベーターとリゾットをお試しあれ。

エジプト(2007年) | 【2007-02-12(Mon) 21:48:14】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子でエジプトへ(3) 大人数
大騒動の末にたどりついたエジプト。
出迎えてくれたのは

・スルーガイドのFさん(日本人女性)。
・カイロの現地ガイド
・現地アシスタント
・アシスタントのアシスタント(使途不明)
・空港アシスタント
・バスドライバー

総勢6人!
客より多い!
いつでも最低4人のスタッフが同行してくれた。

ちなみに旅行会社に組んでもらった旅程だが。
障害者と4才児のためのプランである。
一日の半分が「お昼寝」に当てられていた。

 「午前:○○観光
  レストランにて昼食
  午後:フリータイム
  ホテルにて夕食」

というパターン。
普通では考えられないほどゆったりした、ムダの多い日程にみえるが、これくらいでないと身体がもたない。


エジプト(2007年) | 【2007-02-11(Sun) 21:48:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
車椅子とエジプトへ(2)
ちょっぴり勇気をだしてエジプト行きを決めたものの、さすがに個人で行くほどの豪傑ではない。
障害者専門の旅行会社にプランを立ててもらった。
個人でツアーを組んだというべきか。
ホテルや食事はもちろんのこと、日本語ガイドや移動のバスを含む全部をお願いすることにした。

当初はU子の介助をしてもらえるヘルパーさんに同行してもらうつもりだったのだが、
いろいろあって結局は家族のみで行くことになった。
メンバーは、私とU子と母のほかに、
もう一人の妹・R子と、その娘の椿も加わって、
「女5人の気まま旅!」

気ままではあるが身体は重い。
U子の障害が重いことは最初に述べたけれど、母も歩くには杖が必用な身体。
そして姪っ子の椿は、まだ、4才。

4才児


・・・4才児を連れてエジプトか。
ちょっと、いやかなり、悩んだ。

だがこの椿は4才にしてすでにツワモノなのだ。
父はオーストラリア人。
日本生まれの台湾育ち。
日本語・英語・中国語、なんでもござれの国際人。
渡航経験は私よりずーっと抱負。
離着陸の風景なんて見飽きているらしく、個人用モニターを器用に操作してディズニー番組を見たおしていた。

一方U子はといえば。
飛行機の乗り降りだけで大変である。
カイロやドバイの空港職員はいかにも障害者慣れしていない様子で、
・・・大騒動。

カイロもドバイでもタラップを昇って飛行機に乗り込む形だった。
では歩けない人はどうするのか?
スチュワードが
 「(日本語訳)しばし待たれよ」
と言うので、待っていたら、
荷台がリフトのように上下するトラックがお迎えにきてくれた。
なんだか貨物扱いだなと思ったものの、
トラックの荷台から見る夜明けはなかなか素敵だった。

空港で迎えた夜明け


トラックを降りると入国審査場へと向かう、こんどは正真正銘の貨物用エレベーターに乗らされた。

U子本人も大騒動だった。
長時間のフライトで足がむくむからフィットネス体操でコリをほぐす、なんて芸当はできない。
体が辛くてなかなか眠ることもできず、もう、・・・大騒動。


エジプト(2007年) | 【2007-02-11(Sun) 02:55:38】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
車椅子とエジプトへ(1)
 「いつかエジプトへ行こうね」
と言い出したのは、一体いつだったか。
思い出せないほど前のことだ。
7つ年下の妹・U子は『世界・ふしぎ発見!』という番組が大好きで、
毎週録画するくらい大好きで、
その番組に出てくる歴史や古代遺跡、世界遺産に魅せられていた。
中でもエジプトは特別な憧れの地だった。
砂漠にそびえる巨大なピラミッド。
ツタンカーメンの輝くマスク。
ミステリアスで悠久の歴史が横たわる国。
番組を見ながら
 「いつかエジプトへ行こうね!」
と私達は話していたのだが、それがいつしか合言葉になり、夢になり、約束になったのだ。

だが、この夢を果たすにはひとつ問題がある。
障害がある。
U子は身体にも知的にも重度の障害をもっているのだ。

脳性麻痺による先天的な障害。
移動から食事から排泄から、生活すべてに介助が必要で、
・・・U子が自力でできて得意なことは、笑うことと歌うこと。
そんな具合だから
 「ピラミッドには車椅子用トイレなんて無いだろうな」
と、エジプトへ行くにはちょっとした勇気が必要だったわけだ。

だが私達はエジプトへ行くことに決めた。
いろいろな理由から
 「この冬しかない」
と決めたのだ。
この冬。
2007年1月のことだ。

エジプト(2007年) | 【2007-02-11(Sun) 02:51:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
乗り継ぎトラブル
出発前のトラブルが多かった今回の旅行。
旅そのものは平穏無事だったのに、
帰国の際にまたトラブルに見舞われてしまった。

2月7日、深夜。
カイロを発った飛行機がドバイ空港に着陸しようとしていた。
機体はだんだん高度を落とし、旋回しながら滑走路めざして降りていく・・・が、上昇。
どうもうまくいかなかったらしい。
態勢をたてなおし、再び滑走路めざして降りていく・・・が、また、上昇。
こんなこともあるのだな。
何度も着陸トライするうちに、待ちくたびれた私はうとうと居眠りをしてしまった。

そして目覚めたとき。
飛行機は無事、着陸していた。
・・・ああ、やっと着いたのか。次は大阪行きに乗り換えだ。

ところが、乗客たちの様子がどうも変だ。
いつものように先を争って降りようとする気配がない。
座ったままぶうぶう文句を垂れている。

なんだ?
なんだ?
何が起こってるんだ?
なにげなく個人用モニタを覗いたら。
飛行機の現在地は・・・「Abu Dhabi」。

アブダビだーーー!
なんでだーーーー!

 「コンディションが悪くてドバイに着陸できなかったらしいよ。
  30分後にリトライするって」
と、隣席の中国人の女の子が教えてくれた。
30分。
そのはずだった。
ところが飛行機がドバイに引き返したのは、なんと3時間後。
 「アブダビからドバイまで、車なら1時間の距離なのにね」
とアラビア人が皮肉って言った。
私が乗るはずだった大阪行きはとっくの昔に出たあとである。

まあ、よくあることだけどねえ。
機内で2泊もしたあとだから、2晩ほとんど寝てなくて、頭が朦朧としている状態でこのトラブルはキツい。
そのうえエミレーツの係員の、超早口英語がまたキツかったんだ。
眠いし疲れてるし英語だし一人ぼっちだし。
気分はもう、E.T.だよ。
E.T.ゴーホームだよ。
ああ、お家に帰りたいと、みじめな気持でそう思った。

結局、翌日の同じ便で帰ることになり、その日はドバイで一泊。
エアポートホテルにたどり着いた時にはもう夜が明けていた。
ホテルのボーイがにこやかに挨拶してくれる。
 「グッモーニン!」
ああ、もう朝なのか。
ここはドバイなのか。
すると、疲れたのを通り越してなんだか楽しくなってきた。
・・・ここはドバイなんだ!

しかもエアポートホテルがまた綺麗だったのだ。
間違いなく、この2週間で泊まった中ではいちばん上等だった。

こんな良いホテルにただで泊まれて、そのうえ3食おやつに昼寝付き!
ラッキー!

あまりにも消耗していたので観光とまではいかなかったが、ショッピングセンターで買い物くらいはできた。
翌日の飛行機にはちゃんと乗ることができ、ゴキゲンで日本に降り立った私。
乗り継ぎトラブルも悪くないね!
・・・と、思ったのも束の間。
こんどは機内預けの荷物が紛失していた。

・・・なんでこんなことに。

トラブル! | 【2007-02-10(Sat) 15:10:10】 | Trackback:(0) | Comments:(0)


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