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だだ

Author:だだ
方向音痴で胃腸虚弱で臆病者の旅行好き

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トルコごはん
お昼ごはんにシシケバブ!
この旅行中でいちばん贅沢をしたランチだった。
焼き野菜とピラフ付き。

シシケバブ

トルコは素晴らしくご飯の美味しい国だった。
キョフテ(ハンバーグみたいなの)も美味しかったなあ。
道端で売ってるミディエ・ドルマも好きだった。

だけど、いちばん美味しいのはパンだった!
外はカリカリ!
中はモチモチ!
子供達が担いで売ってまわる焼きたてパン、
売店の歌詞パン。
宿で毎朝だしてくれるパン。
鯖サンドやドネル・ケバブなど、サンドイッチ類はもう最高で
毎日のように食べていた。

たかがパン。
されどパン。
どんなに懐が貧しくてもパンさえあれば幸せになれた。
・・・安上がりって素晴らしい。

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旅の食べ物 | 【2009-01-31(Sat) 10:29:28】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
パムッカレの石灰棚
苦労してたどり着いたクシャダスは、欧米人御用達のリゾート地だった。
海はきれい。
でも、それだけ。

リゾートに縁のない私はクシャダスを拠点にいくつかの観光地をまわることにした。
プリエネ遺跡。
ミレトス遺跡。
それから有名なエフェソス遺跡。
ツアーなら1日でまわる行程を3日がかりでゆっくりまわる。

そして、こちらはパムッカレの石灰棚。

パムッカレの石灰棚

水の中をはだしで歩いていくと、元気のいい少年達につかまった。

客引きの少年たち

 「おれ、アイタチ!」
 「おれ、ケラン!」
 「おれ、バルシュ!」

えらい勢いで自己紹介してくる。
これまでいろんな人に教えてもらったトルコ語を試すチャンスだと、
私はいっしょうけんめいトルコ語でトライしてみた。
・・・トシハ、イクツデスカ?

 「おれ、10才!」
 「おれは8才!」
 「おれ、 もうすぐ9才になるよ!」
 「で、姉ちゃんは何才?」

私がトルコ語で年齢を言うと、少年たちは驚きのあまりフリーズした。
日本人って、子供からみても子供に見えるんだよねぇ。

トルコの少年たちはみんなものすごく無邪気で可愛らしい。
日本人の目からは幼すぎるくらいに見えた。
だが成人して徴兵に行くと、いっぺんに大人びて帰ってくるそうだ。
あれから10年。
パムッカレでバスの客引きをしていた少年達も、そろそろ徴兵に行くころだろう。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-30(Fri) 20:50:03】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
おじさんと猫(2)
海辺で、漁師のおじさんが黙々とイカをむいていた。
横から猫が
 「イカくれーイカくれー」
と、せがんでいたのだけれど
そのうちふてくされて寝てしまった。

イカむきおじさんと猫

おじさんは猫にむかって、ぶつぶつと何かを呟いてた。
 「ごめんなあ、猫よ。
  でも俺らも商売だし。」
と言っていたのかもしれない。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-29(Thu) 20:27:56】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
夜行バスに乗って
イスタンブールで3週間すごしたあと、私はようやく移動を開始した。
最初に目指したのはカッパドキアだったが、
たまたま日蝕があるとかで
猫も杓子もカッパドキアを目指していることを知り、やめた。

目的地変更。
クシャダスへ行こう。
エーゲ海のそばの町。
きっと海がものすごく綺麗なんだろう。

旅行会社で長距離バスを予約をしたら、サービスとして
 「バス・ステーションへの送迎をつける」
と言われた。
ところが、これがマズかった。
サービスの送迎車が遅刻したのだ。
1時間も!
送迎車の運転手は「渋滞した」「パンクした」「警官につかまった」と
ありとあらゆる言い訳を展開していたが、
問い詰めてみれば、ただ
 「忘れてた」
ということであった。

1時間遅れでは、さすがに間に合わない。
私が乗るはずだったバスはとっくに発車した後だ。
あとから考えてみればこの時点で、
旅行会社にクレームを言うなりバス会社に事情を説明するなり、
何か手を打つべきだったのだが。
残念なことに私はアホだった。
大遅刻をやらかした運転手が
 「次のバスに乗ればいい。これだ」
と平気な顔で指差すから、「これかいな」と思って乗ってしまった。
・・・そのバスのチケットを持ってもいないのに。

イスタンブールの町を出てしばらく行ったところで、私の無賃乗車がバレた。
 「金は払った!」
と私。
 「だが、チケットが違う!」
と車掌。
ドライバーも怖い顔で私を睨んでいる。
まわりの乗客はみんなトルコ人で英語はぜんぜん通じない。
本気でバスを降ろされるかと思った。
女で、夜で、田舎道。
こんなところで降ろされたら蚊に食われて死んじゃう!

しかし天は私を見捨てなかった。
トルコ人オンリーだと思っていたそのバスに、一組だけ外国人が乗っていたのだ。
 「どうしたの?」
英語で声をかけられたとき、彼の頭に後光がさしているのが見えた。
 「私達、トルコ語を勉強中なの。力になるよ」
そう言ってくれた女の子はマリア様だった。
彼らのおかげで私は一命をとりとめた。

切符をもたない私は補助席をあてがわれた。
隣の補助席には、途中から女性が乗ってきた。
彼女も正規の乗客ではない。
私以上にもめてもめて、無理やり乗ってきたのだ。
 「どうしても行かなくちゃならないの!
 それも今すぐ!」
叫んで、大股でバスに乗ってきた。
鬼気迫る勢いが今でも忘れられない。

隣席なので、その女性とは少し話した。
彼女の名はニンジェ。
かなり疲れた顔をして、目の下にクマがある。
それでも
 「息子に会いにいくの」
と言ったときは穏やかに微笑んだ。
もしかすると息子さんは病気だったのかもしれない。
海峡をわたるとき、ニンジェはチャイをおごってくれた。
言葉はあんまり通じないので、あったかいチャイを両手で抱え、黙って夜の海を眺めてた。
星のきれいな夜だった。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-28(Wed) 23:12:35】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ジャミィ
イスタンブールにいた3週間、たくさんのお寺をまわった。
寺はジャミィと呼ばれている。
観光の中心であるスルタン・アフメット。
アヤ・ソフィア。
鳩がいっぱいいたベヤジット・ジャミィ。
宿の近所のラーレリ・ジャミィ。
青いイズニックタイルが見事なリュステム・パシャ。
参道が露店がで賑わっていたシュレイマニエ。
エユップ・スルタン・ジャミィは大事な聖地であるらしく、
異教徒の私には踏み込みづらい雰囲気があった。

エユップ・スルタン・ジャミィ
参拝者が列をなすエユップ・スルタン・ジャミィ

ベヤジットの日曜市
ベヤジットの日曜市。

観光客が珍しいのだろう。
FATIHジャミィではお参りにきたおばちゃん達に囲まれた。
言葉は、学校で英語を習っている娘さんが通訳してくれた。
 「どこから来たの?」
日本です。
 「まあ、遠いところからよく来たね!
 私はカイセリから来たんだよ。
 カイセリを知ってるかい? 内陸のほうの町ですごく遠いんだ。
 カイセリとニッポンはまるで世界の端と端みたいに離れているね。
 そんな私達がこの寺で出会ったのは、きっと神の思し召しだよ。 
 アラーがめぐり会わせて下さった。
 感謝の言葉を捧げましょう」
おばちゃんは目を閉じてお祈り(?)をはじめ、
 「あんたも祈りなさい、教えてあげるから」
と言う。
私も目をとじて、おばちゃんの言葉を一生懸命まねしてみた。
けれどうまく言えないので、娘さんがカラカラと笑った。
祈りが終わったとき、おばちゃんはとても満足そうだった。

おばちゃん達は、別れ際に私の写真を撮っていった。
 「また会ったときに顔を覚えていられるように」
って。
だけど私がおばちゃん達を撮ろうとしたら 
 「絶対ダメ!」
って断られた。
ムスリムの女性が写真ダメなのは知ってるけど。
でもなんか不公平はぬぐえない…。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-27(Tue) 21:27:31】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
イスタンブール近郊
なんだかんだとあったけど、結局のところイスタンブールは居心地がよかった。
当初はカッパドキアを目指そうと思っていたのだが移動する気が起こらず
3週間くらいずっとイスタンブールに居座りつづけた。

イスタンブールは町中も郊外も名所旧跡の多いところだが
とくに気に入った場所をいくつか書いておこう。

まずは7つの塔があるイェディクレの城。

イェディクレの城

イスタンブールから電車で少しいったところだが
静かで、風が心地よく、最高だった。
最高に気持ちよかった。
お昼寝に適していた。
城壁のうえで居眠りしていたら・・・一瞬、あぶなかった。

それから、海辺の城砦、ルメリ・ヒサール。
ここも観光客は少ない。

ルメリ・ヒサール

海は青く、眺めがよく、花が咲き乱れていた。

花咲くルメリ・ヒサール

ルメリ・ヒサール 階段

最後にカーリエ博物館。
美しいモザイクの数々に圧倒された。

カーリエ博物館

一人旅のメリットのひとつは、
遺跡を静かに、心ゆくまで味わえることだ。
古いレンガに腰をおろして
風の音に耳をかたむけ
この城壁の上からは昔どんな光景が見られたのだろうと思いを馳せる。
いつまでもいつまでも、こうしていたいと思う。
幸せだ。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-26(Mon) 22:26:38】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
観光地バトル
ブルー・モスクと呼ばれるスルタン・アフメット、
赤い壁が印象的なハギア・ソフィア。
初めてトルコを訪れたとき、
イスラムのお寺はなんて美しいんだろうと
ためいきをついたことを覚えている。

数年ぶりに一人旅で訪れたハギア・ソフィアは
美しいことに変わりはなかった。
けれど、そこへ行くためには
観光客と物売りとが激しい戦いをくりひろげる「戦場」を
通り抜けなければいけなかった。

公園の入り口には一応、門番がいて、絵葉書売りの少年たちに
 「入っちゃダメ」
って説教を垂れていたけれど・・・。

戦場入り口

 「友達になりましょう」
と笑顔で寄って来る絨毯屋さん。
 「ゴハンを一緒に食べませんか」
と誘ってくる詐欺師。
流暢な日本語をあやつる男に
 「日本人旅行者が行方不明になっているのですが
  この写真の女の子、見たことないですか?」
と声をかけられたこともあった。
後で知ったことなのだが、
実はその男こそ、女の子を誘って駆け落ちした(か、誘拐した)
犯人その人であったらしい。
ツアー客ってやっぱり守られてるんだなと思った。

かくも人間は恐ろしい。

その点、猫は平和である。

気持ちよくはまってます


・・・平和至極である。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-25(Sun) 22:06:24】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
カドゥキョイの夕日
イスタンブールは夕焼けの美しい町だった。
海辺のベンチでぼんやりと、落ちてくる夕日を眺めていると
道ゆくトルコ人から、よく
 「失恋したの?」
ってきかれた。
失礼なヤツらである。

イスタンブールの夕暮れ

ある日、カドゥキョイという港で夕日を眺めていたら
ティッシュ売りのおばあさんが近づいてきた。
ティッシュ売りは貧しい人が日銭を稼ぐためのアルバイトだ。

おばあさんは私を見ると、これは上等な鴨を見つけた、という顔をした。
口元をほころばせて
 「さあ買ってくれ」
と言う。
そのとき私はあいにく小銭を切らせていた。
高額紙幣で払ってもお釣りなんかくれるはずがないので
 「悪いけど買えない」
身振りで伝えた。
だが、おばあさんは引かない。
 「そんなこと言わずに買ってくれよ。
  買ってよ。
  ほら、買えったら!」
強引にティッシュの束を押し付けてくる。
どんなに小銭がないのだと説明しても通じない。
おばあさんはとうとう怒りだした。
私の膝にティッシュを投げつけて、こう叫んだ。
 「どうして買ってくれないんだい?
  日本人は金持ちじゃないか。
  車に乗って、飛行機に乗って、あんたみたいに若いのが旅をして。
  ティッシュを買う金くらいあるだろう!」
不思議なことに、トルコ語がぜんぜん分らなくても
こういう言葉だけは通じるものなのだ。
おばあさんの言葉は旅慣れない私の心にずしん、ときた。

返す言葉もなく黙り込んでいると
隣のベンチのおじさんが助け舟をだしてくれた。
  「まあまあ。無理をいうもんじゃないよ」
おじさんになだめられ、おばあさんはしぶしぶ去っていった。
  「て、て、テシュケルィエデリム」
不細工なトルコ語でお礼を述べる私。
おじさんは笑って
  「気にしないでいいよ」
と言ってくれた。
彼の名前はルトフィさん。
簡単な英語が話せたし、日本人びいきだった。
 「私は日本企業のドライバーなんだ。
  だから日本人のことはよく知っている。
  日本人は働き者だ、本当に働き者だ。
  だから豊かになったんだと思うよ。
  トルコ人ももっと働かなくちゃいけないね」
そう言って、ルトフィさんはまた優しく笑った。

今でも折に触れて思い出す。
ティッシュを投げつけたおばあさんのことと
優しい笑顔で救ってくれたルトフィさんのこと、
そして働き者の先人達のおかげで今のこの暮らしがあるのだいうことを。
カドゥキョイの美しい夕日のなかで、
私は忘れてはいけないことを教わったのだ。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-24(Sat) 17:43:20】 | Trackback:(0) | Comments:(3)
おじさんと猫
屋台の向こう側で、おじさんと猫が見つめあっていた。

おじさん 「また来たのか、おまえ…」
猫     「うん。ゴハンくれ」
おじさん 「だめ!」
猫     「くれ」
おじさん 「だめ!」
猫     「くれ」

ゴハンくれ猫

結局おじさん、ごはんをあげてた。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-23(Fri) 21:12:32】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ベヤジット塔にぐるぐるのぼる
煙とナントカは高いところが好きだという。
私もナントカの部類なので、旅先で塔をみれば理由もなく「登らなければ」と思う。
イスタンブール新市街には「ガラタ塔」という有名観光地があるが、
旧市街にもちょっとマイナーな塔があった。
大学の敷地内にそびえる塔で、「ベヤジット塔」という。

ベヤジット塔

まるで陸の灯台のようだ。
 「おっきいなあ」
と下から見上げていたら、インタホンから男の声が
 「オープナ!オープナ!」
と私を呼んだ。
どうやら
 「入って来い」
と言われているらしい。
重い扉をあけると、気の遠くなるような螺旋階段が私を待ち受けていた。

ぐるぐる ぐるぐる 
ぐるぐる ぐるぐる
ぐるぐる ぐるぐる 
ぐるぐる ぐるぐる

目が回るころに展望台へ到着。
灯台守りのようなオッサン達が
 「ベヤジット塔へようこそ!」
と迎えてくれた。
大学の構内だし、あんまり観光地というわけでもなさそうだ。
オッサン達は久しぶりの客を歓迎してくれ、
お茶を出してくれ、
フルーツを出してもてなしてくれた。

案内してくれたオッサンの一人・アリは、
山下清画伯のような格好で
間の抜けた冗談ばっかり言ってる人だった。
もう一人は少しだけ英語ができたので
アリの間の抜けた冗談を通訳してくれた。
 「こいつ、真面目に相手しちゃダメだよ」
と。

やがてアリが
 「最上階へ上がろう」
と連れていってくれた。
 「アジアとヨーロッパの両方が見渡せる場所だよ」
アリが薄汚れた窓をこじ開けると
かつてコンスタンティノープルと呼ばれた町が
眼下にひろがっていた。

アジアとヨーロッパの狭間で

曇ってるし
空気は排ガスで汚いし
海もイヤな臭いがするんだけど。
でも、良い眺めだった。
ベヤジット塔からみおろすイスタンブールの町は美しかった。

当たり前だけど、帰り道もまた気の遠くなるような螺旋階段だ。
ぐるぐる ぐるぐる 
ぐるぐる ぐるぐる
やっとのことで地上にたどり着き
やれやれと宿にむかって歩きだしたら
 「おおーい!」
はるか彼方から、私の名前をを呼ぶ声がした。
 「だだーーーー!
  忘れものだーー!」
見上げれば、首が痛くなるほど上の方、
ベヤジット塔のてっぺんの窓からアリが手を振っていた。
・・・あ。
帽子わすれてきた。

仕方が無いからまた、気の遠くなるような螺旋階段を
ぐるぐる ぐるぐる 
ぐるぐる ぐるぐる・・・・

疲れた。

後日、ガラタ塔にも行った。
途中までエレベーターで昇れて、
新市街も旧市街もアジア側もボスポラス海峡もマルマラ海も
全部よく見えたけど・・・それだけだった。
そこには陽気なオッサン達がいなかったから。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-22(Thu) 15:49:27】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
夕日の中の美少女
世紀末のイスタンブールで出会った、絶世の美少女(美少年かも)。

カドキョイの美少女

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トルコ(1999年) | 【2009-01-21(Wed) 23:55:54】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
イスタンブールでゆっくり
時をさかのぼること10年前、いわゆる『1999年7の月』のこと。
ノストラダムスが
 「世界が滅ぶ!」
と宣言していたわりに、
ぜんぜん滅ぶ気配とかがなかったので、旅に出ようと決意した。
人生2度目の一人旅。
行き先はトルコだ。
期間は1ヶ月。
私にしては長旅だ。
目的はハッキリしていた。
 「一人になりたい。
  一人きりでゆっくりしたい」
…私も当時はうら若き乙女、物思うお年頃だったのであろう。

けれど私はアホだった。
一人になりたいならイスラムの国なんか行っちゃいけない。
ムスリムの男は外国人の女をみれば絶対に放っておかないからだ。
(この話は前にも書いたっけ。)
観光地へ行くと、ナンパ男に絨毯売りや詐欺師までが参加して
10mおきに声をかけてくる有様だ。
ぜんぜん一人になるヒマなどないのであった。

私はアホなので話しかけられると拒否することができなかった。
  「ゴハンをおごってあげよう」
と言われると素直について行き、
おごってもらってからウソの電話番号ととウソのホテルを教えるという
悪魔のような所業を繰り返していた。
(よくまあ大事に至らなかったものだ。)

そういえば、いかにも企み顔の兄ちゃんが
普段は閉鎖している教会を見せてくれたこともあった。

アヤ・イリニ教会
(アヤ・イリニ教会)

そういう理由もあって、宿は観光地からすこし離れた地域にとることにした。
建物は新しく部屋は清潔で広い。
シャワー・トイレ・エアコン・テレビ・冷蔵庫・電話、
朝食がついて毎日お掃除してくれて1泊15ドル。
すばらしいミニホテルだった!
問題は英語がぜんぜん通じないことだが、
どうせ私も喋れないんで、あんまり関係がなかった。

ラーレリ・ジャミィ
(宿の近所のラーレリ・ジャミィ)

あとから知ったのだが、当時その辺りはガイドブックにも
 「治安が良くない」
と書かれている地域だった。
東欧や中近東から流れ込んできた人たちがたくさん問題を起こしていると。
だけど私が滞在していたあいだ中、通りの人たちはみんな私の顔を覚えてくれ、仲よくしてくれた。
町を歩くたびに誰かが
  「メルハバ!」 
  「調子はどうだい、ジャポンヤ!」
と声をかけてくれた。
宿のお掃除おばさんもブルガリア人だった。
言葉はわからないけど、毎日のように私の部屋に遊びにきて喋っていった。
子供や孫と離れ離れで寂しいんだと、身振り手振りで話してくれた。
そのせいで私を可愛がってくれたのかもしれない。
熱をだしたときにフルーツを差し入れてくれたり、
いろいろと面倒をみてくれたっけ。
おばさんは今も元気かな。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-21(Wed) 18:02:26】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
夕焼けのトルコ
ガイドのアジャリさんのことを思い出してたら、
トルコが懐かしくなってきた。

トルコ。
ヨーロッパとアジアの境目の国。
おいしい鯖サンドの国。
そして夕焼けのきれいな国だった。

クシャダスの夕暮れ
クシャダスからみたエーゲ海の夕暮れ

ガイド付きツアーとは別に、個人旅行で1ヶ月ほど旅したことがある。
いや、旅行というより「滞在」だ。
ほとんど動かなかったから。
次からその話を書いていこうと思う。

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トルコ(1999年) | 【2009-01-20(Tue) 23:34:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ガイドさん談話(2)
今まで最高だったのがトルコの現地ガイドさんだ。
博学で。
丁寧で。
礼儀正しい。
日本語なんかぺらぺらだ。

 「これは暗渠になっています。
  お若い方達、『暗渠』ってわかりますか?
  『暗い』という字に『渠』は溝という意味なんですけど、
  あ、書いてあげましょうか?」

・・・私達より漢字を知ってた。

中年男で、けして美男子ではない。
火傷の跡を隠すためにヒゲをのばし、
顔を覆うもじゃもじゃヒゲの中から青い小さな目がのぞいている。
その目はいつも優しかった。
動物とは言葉を話せるんじゃないかと思うくらいの動物好きだった。
ムツゴロウさんみたいに犬と遊んでた。
見つめ合って猫と話してた。

その優しいガイドさんが一度だけ、本気で怒ったことがあった。
自由時間に私と妹が道に迷い、帰るのが遅れた時のことだ。
出発時間ギリギリに帰ってきた私達にむかって、
ガイドさんは珍しく大きな声をあげ
  「どこへ行ってたんですか!
   みんなに心配をかけて!」
と叱りつけた。

私達は「お客様」だからガイドや添乗員に怒られることはあんまりない。
他のツアーだったら
 「これからは注意してくださいね。さあ出発しましょう」
で済まされたのだと思う。
だけど彼は本気で叱ったのだ。
  「ごめんなさい~うええ~ん!」
妹は子供のように泣きだしてしまった。
怒られたから泣いたのではなくて、
彼が仕事上の上っ面だけではなく、
本気で私達のことを心配してくれていたのだと
それがよく伝わってきたからだと、妹は言った。
(私はトイレに駆け込んでいたのでその場にはいなかった)

私をふくめてツアーの全員が
男も女も
おじさんもおばさんも、
みんなが彼に惚れてしまったと言っていいと思う。
あまりにも印象的な人だったので、帰国後、ひろった猫に彼の名前をつけた。
アジャリさん。
今も元気にしてるかなあ。

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雑談 | 【2009-01-20(Tue) 12:50:15】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ガイドさん談話
ツアーの場合、添乗員さんや現地ガイドさんって大事ですよね。
すごく大事。
同じような日程で同じようなホテルに泊まるのに
会社が違えば値段がぜんぜん違ってくる、
その理由は「ガイド料金の差」なのだと聞いたことがある。
・・・ま、ウソかも知れん。

私は団体旅行はあんまり好きじゃないけど
ガイドや添乗員さんを見るのが好き。
すごく好き。
キャラの濃い人が多いから。

初めて出会ったガイドさんは、エジプト人と結婚した日本人ガイドさんで、
離婚のいきさつを延々と述べてくれた。
インドネシアのガイドさんは苦労人で、
人生の絶え間ない苦労を延々と述べてくれた。
ベトナムのガイドさんはグルメな人で、犬肉のおいしさを延々と述べてくれた。
激安ツアーのガイドさんは、客をナンパしまくってた。

インドのガイドさんは食いしん坊だった。
私達が観光しているあいだは常に食事タイムだった。
私達が自由行動のときも食事タイムだった。
私達が移動しているあいだも食事タイムだった(車内)。
私達が病に倒れたときもやっぱり食事タイムだった(深夜)。
24時間、食べていた。
いいのか、あのガイド。

ケニアのガイドさんは5日間ずっと同じ服を着ていた。
勇敢な一人(私)が質問した。
1枚しか服もってないんですか?
  「家にはありますが持ってきてないだけです」
なんで?
  「必要ないでしょ?」
そうですね。
ちなみに洗濯は?
  「必用ないでしょ?」
・・・そうですか?

2007年のエジプトも日本人のガイドさんだった。
とても親切な方で、一晩だけアテのない夜があった私に
 「よかったらウチに泊まって」
と言って下さった。
 「私、かなり潔癖症なんだけど、それでよかったら!」
・・・ありがとうございます。頑張って気を遣います。

思い返せば、みんな良い人でございました。

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雑談 | 【2009-01-18(Sun) 22:12:54】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
悲しい思い出
悲しい話をしよう。
今までの旅の中でいちばん悲しかった思い出だ。
・・・だからと言って暗い話ではナイ。

母をタイに連れていったことがある。
母はもちろんトシだし、足も悪い。
それにお嬢さん育ちでバイオリンなんか弾いていらっしゃって
我が母親ながら、私とはちょっと違う世界の人なのだ。
ごったがえすアジアの町より、
添乗員付きのツアーでヨーロッパの方が似合ってる。
その母が
  「私だって一度くらい冒険したい!」
と、私の案内する旅についてきたのだ。

屋台で食べる。
水上バスに乗る。
列車でアユタヤまで行った。
安いレストランで自分で注文をした。
…ホテルだけは上等のところを予約したけれども。

母は頑張った。
ニンニク大嫌いのくせに何でも食べたし
火を噴くようなタイ料理も美味しいと言った。
汚いトイレもちゃんと使えた。
珍しいことだらけで、それなりに楽しんでいたらしい。

母がいちばん嬉しそうな顔をしたのが、アユタヤで帽子を見つけた時だ。
ピンクの麦わら帽子。
造化がてんこもりに飾られている。
私がかぶるとアホみたいになったが、
母は
  「これ可愛い♪」
ぶりっぶりに可愛い帽子を買って、無邪気に喜んでいた。
50才の少女みたいにずっとかぶっていた。
これで思い出の品ができたと言った。

それなのに。
トゥクトゥクに乗って移動中のこと。
ほぼ未舗装のでこぼこ道で大きな車とすれ違い、トゥクトゥクが激しく揺れて
  「・・・あっ!」
風が、母の帽子をさらっていった。
ピンクの帽子。
可愛い帽子。
最高にお気に入りの帽子がふっとばされて、
対向車のタイヤにひかれてぺったんこ。
  「あーーーっ!」
運転手が気づいてトゥトゥクを停め、帽子を取ってきてくれた。
でも、母の大好きな帽子は、もうどう見てもご臨終だった。

あのときの母の顔は一生忘れないだろう。
でも、ちょっと笑ってしまった。
子供の泣顔みたいだった。
笑ってごめん、母。

そのあとたくさんの店で同じような帽子を探したけれど
母の気に入る帽子はとうとう見つからなかった。
今でも母はその帽子の話をすると
  「悲しいから思い出したくないっ!」
と拒否している。
そのたびにちょっとせつないような、気の毒なような、
しかし可笑しいような気がして
私はいつもちょっとだけ笑う。

来月、私はタイに行く予定なので(…予定)
懲りずにピンクの帽子を探してみよう。

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トラブル! | 【2009-01-14(Wed) 23:16:15】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
旅の不思議
旅行中って、不思議だよね。
いつもは全然ダメなものでも
旅行中だとなぜか大丈夫だったりする。
とくに一人旅のときはそう。

たとえば、外国人に道を尋ねられたら
普段は
 「あい きゃんと すぴーく いんぐりっしゅ!」
と、そそくさと逃げてしまうのに
旅してるときは逃げ場もないからどんどん話せてしまう。

たとえば、ゴキブリを見つけたら
 「ぎゃ~」
と叫んでしまうのに、
マレーシアの街角でなら普通にまたいで通りすぎたりできる。
ゴハン食べた店から宿まで100メートルしかないのに
その間に3匹もゴキブリをまたいだことがあった。

たとえば、おっさんが道端で立ちションしているのに出会ったら
いつもはすごくイヤな気持ちになるのに
バラナシではその風景が普通すぎて何とも感じなかった。
だけどちょびっと
 「トイレのある国に行きたい」
とは、思った。

旅行モードに入ると他にもいろんなことが大丈夫になる。
怒鳴りあいのケンカも普通にできるし
刃物だされないかぎり怖くないって思えるし
辛いカレーも食べられる。(パクチーは食べられなかったけど)
保身のために人を疑うことや、ウソをつくことも平気でできるようになる。

これが日本でもできちゃったら、
・・・人生、変わるかなあ?

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雑談 | 【2009-01-13(Tue) 19:23:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
インドのアジャンタには有名な石窟寺院があった。
岩山をくりぬいた寺。
洞穴のような寺。
中のひとつ石窟はお坊さんの生活空間ということだった。
岩をくりぬいて寝棚がつくられている。
言われたとおり寝転んでみると、ガイドさんが懐中電灯で天井を照らしだした。
 「よく見て。光ってるでしょう?
  石が、星空みたいね。
  これ、せんぶ宝石よ」
・・・なんですと?
 「アジャンタは宝石の名産地。
  石窟寺院も宝石の原石がいっぱい散りばめられています」
石の種類は忘れたが、それはきれいな眺めだった。

モロッコのアイト・ベン・ハッドゥへ行ったときも。
前日まで雨が降っていたので、地面がぬかるんでいた。
 「足がどろどろだよー」
と、そのへんの岩に靴の裏をなすりつけていた。
岩のごつごつ具合がちょうどよかったので、
まわりの観光客もみんなしてその岩で靴の泥をこそげ落した。
と、
 「オーマイガッ!」
と白人のおばちゃんが叫んだ。
 「これ、アメジストだわっ!」
たしかに。
よく見ると、私達が靴の裏でごりごりこすっていたのは
アメジストの巨大な原石だった。
質がわるいので放っておかれているのだろうが
それにしてもデカい。
両手で抱えられないほどの大きさだ。
泥を落してみると、太陽にキラリと映えてきれいだった。
あたりまえの話だけど、宝石って、・・・石なんだね。

以来、店頭にならんだ石を見るたびに、
その高度な加工技術を思い、
つまりは石なんだと思ってしまう。
私には、泥まみれの原石で十分だとも。

stones.jpg
(モロッコの土産物屋の兄ちゃんにもらった石たち)



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雑談 | 【2009-01-12(Mon) 11:17:37】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
言えなかった「ありがとう」
モンゴルの牛のことを書いてたら、思い出した。
いきなり思い出した。
ずーっと忘れていたことを。

数年前、ツアーでモンゴルへ行ったとき。
食中毒で倒れた。
博物館に入ったとたんに
 「うっ!」
と来た。
吐き気満開。
もう恐竜の化石とか楽しんでる場合じゃなかった。
脂汗がタラタラ流れてくる。

添乗員さんがバスを呼びにいくあいだ
私は控え室のソファで休むように言われた。

小さな控え室には先客がいた。
モンゴル人のおばあちゃんで
家族に連れられてきたのだけれど足が疲れて休んでいるという様子だった。
  「気分が悪いのかい?」
と、おばあちゃんが言った。
モンゴル語だけど多分そう言った。
だけど私は吐き気と戦ってる真最中だったから
答えるどころか顔を上げることすらできない。
うつむいて、ビニール袋を握り締め、耐えてるだけで必死だった。

おばあちゃんは私の隣に座り、私の手をとった。
そして歌いだした。
おまじないの歌だ。
子守唄のような。
お経のような。
心を落ち着かせる調べだった。
歌いながら、私の手に模様を描いた。
かなり複雑な模様で、
おばあちゃんの指が手の平から甲へとなぞっていき
少しこそばいようだった。
きっと昔から伝わる遊牧民の呪文をほどこしてくれたんだと思う。
だけど折角の呪文の途中で、私に「ウエエ~」の波が来て
ビニール袋を開けるためにおばあちゃんの手を振り払ってしまったのだ。
呪文は途中で破れてしまったかもしれない。
それでもおばあちゃんは嫌な顔ひとつせず、
私の背中をずっとなでてくれていた。
優しい低い声で話しかけながら。

この時は体が辛すぎて声も出せなかったし
その後もっと酷くなったせいで
おばあちゃんのことはすっかり忘れていた。
もう7年もの間。
それを突然、思い出した。
手の平に施された呪文を。
不思議な節のついた歌を。
それから、背中をさすってくれたあったかい手を。
リアルに思い出したのだ。

おばあちゃんは元気でいるだろうか。
もう2度と会うことは叶わないけれど、
優しいおばあちゃんに、あのとき言えなかった「ありがとう」を、いま心の中で言おう。

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トラブル! | 【2009-01-04(Sun) 22:08:07】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
丑年
2009年の干支は、丑。
牛。

「牛歩」の言葉のように牛にはなんとなく鈍重なイメージがあるけれど
それは穏やかなとき限定の姿だ。
牛は怒ると、とっても激しい。

氷河の残るモンゴルの谷間。
ヤギやナキウサギなど穏やかな動物を観察しながら歩いていくと、
・・・ドスン! ドスン!
と低い音が響いてきた。
牡牛が2頭、体当たりのケンカをしている音だった。
 「闘牛だ!」
縄張り争いか、それとも恋の鞘当か。
激しく角をぶつけあう圧倒的なパワーを感じた。

戦う牛

話は変わるが。
「干支」。
日本では子丑寅・・・ときて「猪」で終わるけれど
中国ではちょっと違うのだ。
香港で、自分の干支マスコットを買おうとした母が
  「イノシシのがない!」
と嘆いていた。
店員さんに尋ねると
 「ああ、あるよ。
  これだろ?
  『ブタ年』!」
 「ブタ・・・」
母はとっても悲しそうな顔をした。

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雑談 | 【2009-01-03(Sat) 12:54:42】 | Trackback:(1) | Comments:(0)
オーストラリアから
新年、あけましておめでとうございます。
気まぐれ度100%のブログですが
今年もよろしくお願いします。

さて。
先日、妹からこんなクリスマスカードが届きました。

真夏のサンタ

サンタクロースが袖まくりして海岸ピクニック。
すんごい暑そう。
真夏のサンタ。
南半球のオーストラリアはいま真夏だから仕方が無いんだけど
それはわかるんだけど、
サンタクロースにそこまでさせる必用があるのかと思ってしまう。
暑苦しいやん、あのヒゲが。

そして大晦日。
紅白歌合戦もまっただなかの夜10時。
あと2時間で今年も終わるなあなんて思ってたら、
電話がなった。
  「あけましておめでとー!」
って、早いし!
まだ明けてへんし!
  「だってもう新年になったもん」
シドニーは日本と2時間の時差がある。
だからって、オーストラリア時間を押し付けないでよと言いたい。
日本はまだ、2008年最後の2時間を惜しんでいるのだから。

季節が違えば時間も違う。
頭でどんなにわかっていても、やっぱり不思議な気がするんだ。
インターネットが普及して世界は狭くなっちゃったけど
地球はやっぱり、丸いまんまだ。

雑談 | 【2009-01-02(Fri) 18:28:02】 | Trackback:(0) | Comments:(0)


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