ウズベキスタン2日目。
ホテルからタクシーで空港へ向かう。
料金は約1ドル。
タシケントでは何度もタクシーに乗ったが、どういうわけか全てのタクシーのフロントガラスにひびが入っていた。
空港バスのも割れていたっけ。
しかも運転手は、
「マジかよ」
とツッコミたくなるほどの高齢者。
80才は越えている。
いや、90も越えてるかもしれない。
ドッピと呼ばれる四角い民族帽をかぶり、足はジャージ履き。
小刻みに震える手でハンドルを握り、中央線ギリギリをきわどくかすめてつっ走る、超ベテラン運転手であった。
ものすごい怖かった。
タシケントから国内線で2時間、ウルゲンチへ到着。
そこから更にタクシーで観光地のヒヴァを目指す。
ヒヴァには城壁で囲まれた「イチャン・カラ(内城)」という町があり、
ここは町全体が世界遺産に指定されている。
町じたいが大きな遺跡なのだ。
そっくりそのまま中世そのもの!
たくさんのミナレット、メドレセ、家々の壁も石畳の道も、すべてがくまなく遺跡なのだ。
私が泊まった宿もこの世界遺産の中にあり、古い民家を改造したものだった。




夕日に染まるヒヴァを歩く。
カラスの群れが飛んでいく。
白い月がミナレット(塔)に寄り添うようにたたずんでいる。
美しい。
美しい町である。
浸っていると、
「ハロー」
と女の子が英語で話しかけてきた。
10才のナザカット。
学校帰りだそうだ。
写真を撮って住所書いて、
「ボンボン(キャンディ)ちょうだい」
と言われた。
「持ってないよ」
と言うとあっさりあきらめ、バイバイとほかの外国人を見つけて走っていった。
・・・なるほど。
ここの子供はそうやって商売をしているのかと、初日はそれだけで済んだのだけど。
彼女はなかなか商魂たくましい女の子だった。
明くる日も私を見つけると駆け寄ってきて、結局、
・・・いろいろ買わされちゃった話は、パス。
ナザカットから逃げ出してまもなく。
また別の子供につかまった。
今度は男の子だ。
シャハルーホ、9才。
可愛いらしい子だが、彼は物売りをする代わりに、
「ボクの家でお茶でも」
と、自分の家に連れていった。
・・・なるほど。そういう手もあるのか。
なかなか凄いことだと、シャハルーホの家に上がりこみながら思った。
世界遺産の町に住む。
考えてみればこの家だって、建て直しを繰り返しながら、何百年前からここにあるのかもしれない。
中庭なんて発掘現場のようである。
いかにも古そうな井戸や、昔ながらの竃がある。
細かい彫刻の施された木の柱が、今もなお使われている。
宮殿やメドレセでも見られるようなものすごく古い柱だ。
そこに洗濯ロープをかけてピンクや紫のパンツを干している。

靴を脱いで上がるとたくさんの家族たちがいる。好奇の目がいっせいに私を見つめる。
「こ、こ、こんにちは」
どうぞと居間へ通される。
大きな黒いストーブと、奥にテレビ、Wラジカセまである。
テレビに一番近い席におばあちゃんが座っており、その横に座れと言う。
「そこはひょっとして上座では?」
と思いながら腰を下ろす。
TVでは白黒のインドのドラマをやっていた。
さしずめ、愛と死のサスペンス・ドラマと言ったところか。
小さな子供までがえげつない場面を必死になって見ている。
TVを見ながら、おばあちゃんときれいなお母さん、少年シャハルーホと彼の妹2人で、お茶を頂く。
ナンとクレープも出た。
「ナンにコレをつけると美味しいんだよ、つけてみるかい?」
とおばあちゃんがスプーンを差し出すので、なめてみた。
「うっ!」
ラードだ。
そのうちお父さんとおじさん、従妹達までわらわらと集まってきた。
「日本人が来てるんだって?」
「ニホンジン?」
小さい子供は靴のまま上がってきて怒られたり、お茶をひっくり返したりと、大騒ぎだ。
そのスキにおばあちゃんは私のお茶に角砂糖を2つも入れて、一人で喜んでいた。
「うっ!」
甘い・・・。
お父さんとおじさんは、ガイドブックとロシア語の会話集を熱心に眺めていた。
彼らは英語はもちろんロシア語さえほとんど話さないようだった。
同じ「家に招かれる」のでも、ギーチェ爺ちゃんと少年シャハルーホとでは根本的に違う。
シャハルーホは数ドルの小銭がほしかったから声をかけてきたのだ。
でも民家を見学させてもらうのは楽しかったし、とても暖かく楽しくすごせたので、現金でお礼をすることに抵抗はなかった。
ホテルからタクシーで空港へ向かう。
料金は約1ドル。
タシケントでは何度もタクシーに乗ったが、どういうわけか全てのタクシーのフロントガラスにひびが入っていた。
空港バスのも割れていたっけ。
しかも運転手は、
「マジかよ」
とツッコミたくなるほどの高齢者。
80才は越えている。
いや、90も越えてるかもしれない。
ドッピと呼ばれる四角い民族帽をかぶり、足はジャージ履き。
小刻みに震える手でハンドルを握り、中央線ギリギリをきわどくかすめてつっ走る、超ベテラン運転手であった。
ものすごい怖かった。
タシケントから国内線で2時間、ウルゲンチへ到着。
そこから更にタクシーで観光地のヒヴァを目指す。
ヒヴァには城壁で囲まれた「イチャン・カラ(内城)」という町があり、
ここは町全体が世界遺産に指定されている。
町じたいが大きな遺跡なのだ。
そっくりそのまま中世そのもの!
たくさんのミナレット、メドレセ、家々の壁も石畳の道も、すべてがくまなく遺跡なのだ。
私が泊まった宿もこの世界遺産の中にあり、古い民家を改造したものだった。




夕日に染まるヒヴァを歩く。
カラスの群れが飛んでいく。
白い月がミナレット(塔)に寄り添うようにたたずんでいる。
美しい。
美しい町である。
浸っていると、
「ハロー」
と女の子が英語で話しかけてきた。
10才のナザカット。
学校帰りだそうだ。
写真を撮って住所書いて、
「ボンボン(キャンディ)ちょうだい」
と言われた。
「持ってないよ」
と言うとあっさりあきらめ、バイバイとほかの外国人を見つけて走っていった。
・・・なるほど。
ここの子供はそうやって商売をしているのかと、初日はそれだけで済んだのだけど。
彼女はなかなか商魂たくましい女の子だった。
明くる日も私を見つけると駆け寄ってきて、結局、
・・・いろいろ買わされちゃった話は、パス。
ナザカットから逃げ出してまもなく。
また別の子供につかまった。
今度は男の子だ。
シャハルーホ、9才。
可愛いらしい子だが、彼は物売りをする代わりに、
「ボクの家でお茶でも」
と、自分の家に連れていった。
・・・なるほど。そういう手もあるのか。
なかなか凄いことだと、シャハルーホの家に上がりこみながら思った。
世界遺産の町に住む。
考えてみればこの家だって、建て直しを繰り返しながら、何百年前からここにあるのかもしれない。
中庭なんて発掘現場のようである。
いかにも古そうな井戸や、昔ながらの竃がある。
細かい彫刻の施された木の柱が、今もなお使われている。
宮殿やメドレセでも見られるようなものすごく古い柱だ。
そこに洗濯ロープをかけてピンクや紫のパンツを干している。

靴を脱いで上がるとたくさんの家族たちがいる。好奇の目がいっせいに私を見つめる。
「こ、こ、こんにちは」
どうぞと居間へ通される。
大きな黒いストーブと、奥にテレビ、Wラジカセまである。
テレビに一番近い席におばあちゃんが座っており、その横に座れと言う。
「そこはひょっとして上座では?」
と思いながら腰を下ろす。
TVでは白黒のインドのドラマをやっていた。
さしずめ、愛と死のサスペンス・ドラマと言ったところか。
小さな子供までがえげつない場面を必死になって見ている。
TVを見ながら、おばあちゃんときれいなお母さん、少年シャハルーホと彼の妹2人で、お茶を頂く。
ナンとクレープも出た。
「ナンにコレをつけると美味しいんだよ、つけてみるかい?」
とおばあちゃんがスプーンを差し出すので、なめてみた。
「うっ!」
ラードだ。
そのうちお父さんとおじさん、従妹達までわらわらと集まってきた。
「日本人が来てるんだって?」
「ニホンジン?」
小さい子供は靴のまま上がってきて怒られたり、お茶をひっくり返したりと、大騒ぎだ。
そのスキにおばあちゃんは私のお茶に角砂糖を2つも入れて、一人で喜んでいた。
「うっ!」
甘い・・・。
お父さんとおじさんは、ガイドブックとロシア語の会話集を熱心に眺めていた。
彼らは英語はもちろんロシア語さえほとんど話さないようだった。
同じ「家に招かれる」のでも、ギーチェ爺ちゃんと少年シャハルーホとでは根本的に違う。
シャハルーホは数ドルの小銭がほしかったから声をかけてきたのだ。
でも民家を見学させてもらうのは楽しかったし、とても暖かく楽しくすごせたので、現金でお礼をすることに抵抗はなかった。

