(1)はこちら。
1999年8月17日。
イスタンブールで地震に遭うが、
「震度3」
とか言いながら呑気に構えていた私。
夜が明けるまでに大きな揺り返しが1回。
細かい有感地震は数えきれないほどあったものの、
「これくらい大丈夫」
ともう一度寝た。
でも・・・怖かった。
余震が怖いんじゃない。
揺れることが怖いんじゃなくて。
日記には、こう書いてある。
「気になるのは他の地域だ。
今は何も情報がないけれど、神戸のときみたいに、どこかの町が壊滅していたらと思うとゾッとする」
朝、トイレが流れないことに気がついた。
上水道も出なかったのでミネラル・ウォーターで顔を洗った。
宿のおじさんはつとめて陽気に、
「昨夜はビックリしたね!
もうじき修理できると思うから」
と言った。
町に出てみると、一見、何も変わらないように見えた。
ジャミィには観光客がぞろぞろと練り歩き、
子供達は絵葉書を売りつけようと騒ぎ、
絨毯屋が景気のいい声をあげている。
ふだん通りのイスタンブール。
朝刊にも地震のことはまだ載っていない。
政治家と色っぽいお姉ちゃんとサッカーの写真が大きく写っている。
それでいて、どこかがおかしい。
たとえば信号がぜんぶ消えている。
・・・信号は普段から無視されているので、交通に影響は無いのだが。
トラムも午前中は便が激減していた。
地下道にも明かりがついていない。
あのにぎやかなエジプシャン・バザールでさえ停電だ。
ロウソクや発電機をもってきて商売を続けている店もあるが、閉まっている店も多くて活気に欠ける。
石積みの塀などが壊れて落ちているところもあった。
だんだん不安が募ってくる。
トルコ人に尋ねても、
「かなり大きな地震だったらしい。
でもまだ詳しくは分らない」
と言う。
トルコ語の分らない私にはもっと情報が入ってこない。
結局、詳しいことを知ったのは翌日になってからだった。
TVのあるカフェに入って、ニュースを見ていた人たちに教えてもらった。
震源地はイズミットという町だ。
マグニチュードは6か7。
死者はすでに3500人。
「俺の友達がイズミットに住んでるんだ。
連絡がとれないんだ!」
と、おじさんは叫んだ。
電話は通じていなかった。
公衆電話は動いているのか、ずらーっと並んで行列ができる。
ああ、神戸のときと同じだ・・・。
家族が心配しているかもしれないと、私も列に並んでみたけれど、国際電話はいっさい繋がらなかった。
(まだつづく)
1999年8月17日。
イスタンブールで地震に遭うが、
「震度3」
とか言いながら呑気に構えていた私。
夜が明けるまでに大きな揺り返しが1回。
細かい有感地震は数えきれないほどあったものの、
「これくらい大丈夫」
ともう一度寝た。
でも・・・怖かった。
余震が怖いんじゃない。
揺れることが怖いんじゃなくて。
日記には、こう書いてある。
「気になるのは他の地域だ。
今は何も情報がないけれど、神戸のときみたいに、どこかの町が壊滅していたらと思うとゾッとする」
朝、トイレが流れないことに気がついた。
上水道も出なかったのでミネラル・ウォーターで顔を洗った。
宿のおじさんはつとめて陽気に、
「昨夜はビックリしたね!
もうじき修理できると思うから」
と言った。
町に出てみると、一見、何も変わらないように見えた。
ジャミィには観光客がぞろぞろと練り歩き、
子供達は絵葉書を売りつけようと騒ぎ、
絨毯屋が景気のいい声をあげている。
ふだん通りのイスタンブール。
朝刊にも地震のことはまだ載っていない。
政治家と色っぽいお姉ちゃんとサッカーの写真が大きく写っている。
それでいて、どこかがおかしい。
たとえば信号がぜんぶ消えている。
・・・信号は普段から無視されているので、交通に影響は無いのだが。
トラムも午前中は便が激減していた。
地下道にも明かりがついていない。
あのにぎやかなエジプシャン・バザールでさえ停電だ。
ロウソクや発電機をもってきて商売を続けている店もあるが、閉まっている店も多くて活気に欠ける。
石積みの塀などが壊れて落ちているところもあった。
だんだん不安が募ってくる。
トルコ人に尋ねても、
「かなり大きな地震だったらしい。
でもまだ詳しくは分らない」
と言う。
トルコ語の分らない私にはもっと情報が入ってこない。
結局、詳しいことを知ったのは翌日になってからだった。
TVのあるカフェに入って、ニュースを見ていた人たちに教えてもらった。
震源地はイズミットという町だ。
マグニチュードは6か7。
死者はすでに3500人。
「俺の友達がイズミットに住んでるんだ。
連絡がとれないんだ!」
と、おじさんは叫んだ。
電話は通じていなかった。
公衆電話は動いているのか、ずらーっと並んで行列ができる。
ああ、神戸のときと同じだ・・・。
家族が心配しているかもしれないと、私も列に並んでみたけれど、国際電話はいっさい繋がらなかった。
(まだつづく)
あのトルコ大地震の時にいらしたんだ!!
阪神大震災のときに聞いた地鳴り・・・
拝読しながら、なんだかぞっとしてしまいました。
でも日本人だけが落ち着いていたっていうのも、なんとなく状況が見えるようです。
そりゃもう日本にいる家族は心配するでしょう。その後どうなったのかしら???
私も続きを楽しみにしています。
先日行ったカッパドキアのペンションでも、1999年の地震の話がちょっと出たんですよ。
日本人女性が個人的に衣類や物資を大量に送ってくれて、その本人も現地に来ていろいろ尽くしてくれたとかで、そのことを私にも感謝されてしまい・・・なんか感動してしまいました(^^;
阪神大震災のときに聞いた地鳴り・・・
拝読しながら、なんだかぞっとしてしまいました。
でも日本人だけが落ち着いていたっていうのも、なんとなく状況が見えるようです。
そりゃもう日本にいる家族は心配するでしょう。その後どうなったのかしら???
私も続きを楽しみにしています。
先日行ったカッパドキアのペンションでも、1999年の地震の話がちょっと出たんですよ。
日本人女性が個人的に衣類や物資を大量に送ってくれて、その本人も現地に来ていろいろ尽くしてくれたとかで、そのことを私にも感謝されてしまい・・・なんか感動してしまいました(^^;
いたのです、あの日にイスタンブール。
阪神大震災から何年も経たない時だったので、地鳴りを聞いた時は本当にぞっとしました。
逆に、小さな揺れに慣れていた頃でもあったので「これくらい大丈夫」と思ったんですけどね。
私は何もできませんでしたが、あの時はたくさんの日本人が助けにいったのですね。
阪神大震災から何年も経たない時だったので、地鳴りを聞いた時は本当にぞっとしました。
逆に、小さな揺れに慣れていた頃でもあったので「これくらい大丈夫」と思ったんですけどね。
私は何もできませんでしたが、あの時はたくさんの日本人が助けにいったのですね。
2006-06-01 木 15:52:38 |
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だだ #- [ 編集]

