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駄の日常…毎日の日記。
駄らだら、たからづか。…宝塚ファンの呟き

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だだ

Author:だだ
方向音痴で胃腸虚弱で臆病者の旅行好き

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青きアムダリヤ
ブハラへの旅は長かった。
同じような景色にうんざりしてきた頃、
 「アムダリヤ!」
シャハラーが窓の外を指差した。
砂漠なかに唐突にあらわれた水。
青い、青い川の流れ。

アムダリヤ川


これがアムダリヤ川か。
砂漠に緑をもたらす命の川。
電力ももたらしてくれるらしく、水力発電のダムもある。
 「アムダリヤ、ボリショーイ(大きい、素晴らしい)」
シャハラーは何度も何度もくりかえして言った。
そして青い流れに浮かんだ一艘の船を指差して、
 「見なさい、舟だ、舟だ」
と、興奮気味に教えてくれた。
砂漠に住む彼女にとって舟は珍しいのかもしれない。

バスはアムダリヤにかかる橋を渡るが、渡る前と後と、政府のチェックを2回も受けなければならなかった。
アーミー柄の制服を着た警察(軍隊かも)がバスに乗り込んで、一人一人身分証のチェックをする。
私のチェックが一番厳しく、パスポートを持って行かれてしまった。
 「レギストラーツェ(外国人登録。滞在する町ことに申請が必要)を調べてるんだ」
とシャハラー。
ウズベキスタンの警察は評判が悪いのでちょっとドキドキしたが、パスポートは汚い指の跡をつけられただけで無事に戻ってきた。
はずだったが。
が、今度はバスの乗客に持っていかれてしまった。
 「へえ、これが日本のパスポートかい」
 「このスタンプはどこの国?」
 「このシールは何?」
 「この日本語を読んでくれ」
ぜんぜん話が終わらなくて、もう・・・返してください。

2回目のチェックをしたのは、生まれて初めて日本人に会うという若い警官で、私のことををまじまじと眺めて
 「おまえはほんとに日本人か。日本人か。」
としつこく尋ねてきた。
するとバスの乗客たちは声をそろえて大合唱。
 「日本人だ、『おしん』だ!」
・・・まあ。いいけどね。


ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 14:49:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
砂漠を走る長距離バス
バスは砂漠を駆け抜ける。
砂漠といっても、黄金色の砂の海、というわけではない。
岩だらけで針のような植物がほそぼそと生えている。
大きなネズミのような生き物もいた。
薄茶色の岩と灰色の茂み。
乾ききった大地がどこまでも茫漠と広がっている。
ただ空だけが、アムダリヤ川のように青い。
私はいくつもの物語を思い出す。
・・・王子カラフ。盗賊ハッサン。ここは広いな。
バスはそんな砂漠を上ったり下りたり、走ったり休んだり、のろのろと南東へ向かっていく。

バスは午後もひた走る。
牧童がヤギを追いながら歩いてくる。
彼らはどんな遠くからやってきたのだろう。
やがて日が暮れる。
壮大な夕焼けだ。
360度の夕焼けだ。
バスの行く手に銀色の円盤が浮かぶ。
 「オイモモ(月)!」
とシャハラーが言った。
私はそれでひとつウズベク語を覚えた。

夜8時、州境に到達。ホラズム州からブハラ州へ入る。
ドライバーと積荷のチェックが行われる。この時、トイレタイムとなった。
男は道の右側へ、女は左へ。
自然に分かれて・・・そのへんでどうぞ。

壮大だと思った。
月の光に照らされる砂漠に、みんな1列に並んでおしっこだ!
なんだか感動である。
人間よ自然に帰れ。
月光が雲のヴェールを裂き、星空のシャワーがかいま見える。
 「ねえ、なんであの子はあんな奥まで行くんだい?」
 「日本人だからじゃないかい」
どんな時でも注目を浴びてしまう『おしん』であった。

ドライブインで休憩をとった。
時間は午後9時、夜食の時間だ。
湧き水みたいな水道で手を洗う。
 「おしん、ここへ座れ」
シャハラーの親戚のオジサンが席を用意してくれた。
彼は、ドイツ人ゴールキーパーのオリバー・カーンを陽気にしたような顔立ちだった。
 「何を食べる?」
 「なんでもいい」
 「××でいいか、うまいぞ」
××がどんな料理かわからずに困っていると、陽気なオリバー・カーンは
 「見せてやる」
と厨房へ押し入り、何かを持ち出してきた。
・・・卵だ。
卵はもちろん大好きだ。
にっこりうなずくと、なぜか店中の客がどっと笑った。
卵は目玉焼きになって出てきた。
あとは主食のナン(平たいパン)とチャイ(お茶)だ。
 「スプーンはいるか」
とシャハラーが訊いてきたが、私は
 「シャハラーがいらないなら、私もいらない」
と言って、手づかみで目玉焼きをナンにつけて食べた。
おいしかった。
見渡せば、大抵の人が手づかみで食べていた。

このとき同じテーブルになった人が、自分はヌクス人だと言っていた。
ヌクスは、ウズベキスタンの西の果て。
顔を見れば純粋なモンゴロイドだ。
モンゴル人か中国人と言っても通用するかもしれない。
どこか哀しみをたたえた、味わいのある顔をしていた。
そういえばシャハラーは民族的にはカザフ人なのだそうだ。
きりっとした強い眉毛、
はっきりした西洋的な目鼻立ち。
タシケント出会ったギーチェ爺ちゃんは完全なロシア人だった。
青きアムダリヤを越えたらもうそこはトゥルクメニスタンで、トゥルクメン人はその名のとおりトルコ系だ。
中央アジアには、実にいろんな顔があり、いろんな人々が住んでいるのだと思った。
彼らの写真を撮らせてもらっていたら、
 「ワシも撮ってくれ!」
「おれも!おれも!おれも!」
とオヤジ連中が騒ぎ出したので、結局そこにいる全員を撮るハメになってしまった。

ドライブインにて


ご飯を食べてバスに戻るとみんな眠った。
夜の砂漠はかなり冷え込む。
私とシャハラーは1枚のジャケットを一緒にかぶって仲良く眠った・・・というか、
 「おしん!上着!」
と言って無理矢理はんぶんこさせられた。
ボロバスでも案外、眠れるものである。

深夜、エンジンが止まり、また休憩かと思っていたら
 「ブハラだ、日本人!」
とドライバーが叫んだ。
長いバスの旅は終わったのだ。
私は寝ぼけ眼のシャハラーとオリバー・カーンと陽気なオヤジ連中にあわただしく別れを告げてバスを降りた。

こうして、ウルゲンチからブハラまで10時間におよぶバスの旅は終わった。

ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 21:34:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
イマイチな思い出
ブハラに着いたのは深夜0時。
ガイドブックには「8時間」、経験者からも「6〜7時間」と聞いていたところを10時間かけて来たわけだから、この遅さは予想外。
深夜だったためか、宿のスタッフはパンツ一丁で出迎えてくれた。
・・・ちょっと怖かった。

今回の宿は、ブハラの中心・ラビハウズの目の前にある。
お湯も出るし、旅行者の間でも評判の申し分ない宿。
ゆっくり休んだ翌朝、さっそく観光に出発だ!

ところが。
いきなり。
死にかけている猫に出会った。
宿のすぐそば、ラビハウズ(池)のほとりだ。
キジトラの猫で、足を体の下にたくしこみ、うずくまっていた。
遠目には眠っているかのようだ。
だが、近づけばすぐに分かる。
もう頭を上げていられない様子で、がっくりと地面に鼻を落としている。
まったく動かない。
目も開けない。
耳をヒクリとも動かさない。
ひげ一本震わせない。
たまに呼吸をするとき、背中が弱々しく上下するだけだ。
毛並みは悪いが外傷は見当らない。
病気だろうか。

ラビハウズ


こんな所で。
私は泣きたくなった。どうにもしてあげられない。
せめて水をと差し出したら、その時だけ、かすかに顔をそむけるような動きをした。
拒否しているのだ。
おれはここで死ぬのだと、決意を示すかのように。

朝いちがそれだったから。
ブハラはなんとなく居心地の悪い町になってしまった。
どこへ行ってもお土産屋ばっかりだ。
レストランではぼったくられまくる。
ちょっと歩けば子供にたかられる。
 「ボンボンちょうだい!」
 「ペンちょうだい!」
しかも一人や2人や3人ではない。
集団で襲撃してくるのだ。
ヒヴァの田舎の子供たち、ナザカットやシャハルーホみたいに代わりの何かを与えてくれるわけでもなければ、東南アジアの貧しい子供達のように命がけでもない。
彼らはただ、ほしいほしいとむき出しで言うだけだ。
とても感じが悪かった。

今まで楽しかったぶん、その一日は強烈にめげた。
死にかけた猫のことが頭から離れなかった。
あの子はどうしただろうか。
でも、もう一度見にいく勇気はない。

疲れ果ててチャイハナ(喫茶店)に座り込んでいると
 「ご一緒していいですか」
と英語で尋ねられた。
 「私はガイドをやっています」
美人だが、ちょっと化粧濃いめの女の人だった。
ドライバーらしき男の人を連れていた。
 「よかったら、ブハラの町をご案内しましょうか」
・・・ブハラは、もういい。この町は私に合わない。
しゃべりたい気分だったので、言葉が通じるのを幸い、彼女を相手にさんざんグチった。
疲れていたのだと思う。
 「もし他の町へ行きたいなら、車の手配をしましょうか?」
と彼女は言った。
・・・ああ、そうだな。それがいい。
予定を1日くりあげて、シャフリサーブスへ行こう。
親切なシャハラーおばさんのいる町、シャフリサーブス。
彼女の顔を見れば気も晴れるかもしれない。
 「安い宿も紹介できますよ」
渡りに舟とはこういうことだ。
その場で、翌日の昼にシャフリサーブスへ行く車を予約をしてしまった。

翌朝。
宿の女将であるファティマが
 「あんた、今日チェックアウトするんだよね?
  次はどこへ行くの」
と尋ねてきた。
 「シャフリサーブスへ行くつもりです」
 「タクシーはもう決まってるの?」
 「昨日、旅行会社の人に会ったので、そこに頼みました」
 「ほう。なんていう人か、名前はわかる?」
名刺を部屋に置いてきていたので、その問いには答えられなかった。
ファティマは大柄でどっしりしている。
おばさんと言うより「女将さん」という響きが似合う。
一見、怖いが頼り甲斐のある印象だし、実際とても面倒見のいい人らしかった。
そのファティマが言った。
 「いいかい。もし必要になったら、私が安いタクシーを紹介してあげるからね。遠慮なく言うんだよ」
それがどういう意味なのか、その時はピンとこなかった。
私はお礼を言って、散歩に出かけた。

昨日の旅行会社の人は、12時すぎに迎えにくると言っていた。
お昼ごはんから帰ると、例の化粧の濃い女の人がすでに門のところで待っていた。
私は「荷物を持ってくるから」と急いで部屋へ向かった。

「ちょっと待って。」
客室へつづく階段の下で、ファティマが私を引きとめた。真剣な表情だった。
 「彼女も行くのか?」
ファティマの目が、門の方をちらっと見た。
化粧の濃い女の人が手持ち無沙汰に待っている。口紅が赤い。
たしか、ドライバーは英語ができないから、彼女も行くと言っていたはずだ。
 「やめときなさい。彼女は危ない。」
ファティマの細い目はますます真剣になった。
「彼女はよくない!
だから今朝、誰に頼んだのかって名前を訊いたんだよ!
 彼女の被害に遭った旅行者を知っている。
 彼らはみんな怒っていた。
 タクシーの中で眠っている隙に現金を盗られたり、紹介された宿で盗まれたりしている。
 安い宿を紹介しておいて、大金を盗むんだ。私は彼女を憎む。
 タクシードライバーなら私が紹介してあげる。
 宿も信頼のおけるところを教えてあげる。
 だから、彼女だけは、おやめなさい。」
やめよう。
即決だった。
ファティマの言うとおりにしよう。
・・・本当を言うと、この段階でファティマの言葉を信じるに足る根拠はほとんど無い。
タクシーや宿の紹介料が目当て、ということだってあり得るのだ。
私にはウソや人柄を見抜く眼力なんか、ない。
ただ、私が読んだ旅情報サイトに「ファティマはいい人」という評判があったのと、
 「I hate her. (彼女が憎い)」
なんて激しい言葉が飛び出すのはタダゴトではないと思った。
それに何より、恰幅のいいいファティマの豊かな胸周りが、母性的で頼れる感じだったのだ。
私は彼女の言葉を全面的に信用することにした。
 「でも、どうやって断ればいい?」
 「一緒に言ってあげよう。ブハラでもう1、2泊するんだと言いましょう」
それで、そうした。
少し怖い問答のあと、化粧の濃い女の人は渋々帰っていった。

ファティマは電話をかけて、信頼のできるタクシーを探してくれたが、結局みつからなかった。
その代わり、同じ宿に泊まっていたバングラディシュ人のツアーバスに同乗にさせてもらえるよう、かけあってくれた。
 「ツアーのバスで、とりあえずサマルカンドまで行きなさい。
  このバスなら絶対安心だから。
  宿は『ティムール』、ここの主人は私の友達なんだ。
  安いし、レギスタン広場に近い、とてもいい場所にある。
  シャフリサーブスへのタクシーもティムールが手配してくれるはずだ。」
至れりつくせりである。
別れ際に
 「いろいろとご親切を感謝します」
と礼を言うと、ファティマは
 「なあに、うちにくる旅行者はみんないい人ばかりだからね。
  だから私も親切にするのさ」
 と言った。

ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 23:15:55】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
バングラディシュ人のバスに乗って
ウズベキスタン6日目。
ブハラからサマルカンドへ、バングラディシュ人のツアーバスに乗せてもらうことになった私(もちろん料金は払う)。
ツアーとはいえ夫婦2組、たった4人のこじんまりしたもので、バスもミニバスである。

彼らとは朝食の時にすでに顔見知りになっていた。
奥さんがサリーを着ているのでインド人かと思って尋ねたら、バングラディシュだと言われた。
私にとっては生まれて初めて出会うバングラディシュ人。
・・・で、バングラディシュって、どこ。
服装から見てもきっと大金持ちなのだろう、世界中あちこち旅をしている様子である。
 「実は先週、バリ島へ行ってきてね」
 「バリですか!?テロで危なかったんじゃ?」
 「そうなんだよ。わしらはラッキーだった。あそこはもう『楽園』とは呼べないね、はっはっは」
悠長なものである。
彼らは、ウズベキスタンを大変気に入ったと言った。
 「ここの人は人なつこくていいね。子供達がすぐに『写真撮って!』と寄ってくるし。
  時間もゆったり流れているようだ」
・・・しかし私は目撃していた。昨日、彼らが子供達に襲撃されているのを。
きっと、1人にドル札をあげてしまったのだろう。
大小あわせて10人もの子供が群がり、20本の手をのばし、口々に
 「ダラー、ダラー、プリーズ!(ドルをくれ!)」
と叫んでいたのだ。
それを見て私は「ブハラの子って怖い」と思ったのに。
彼らはのほほんと「ここの子供はひとなつこいね」なんて言えるのだ。
バングラディシュ人てば寛容だなあ。
・・・ところで、バングラディシュって、どこ。

そんなバングラディシュ人たちといっしょに、最終目的地サマルカンドへ出発。
ミニバスは最初1時間ほど観光地へ寄ったあと、一気にサマルカンドを目指し走りだした。
綿花畑と電線と、砂漠の間をバスは走った。
またしても360度の夕焼けが広がっていた。

数時間後。
うつらうつらしている私の耳に、ガイド君の声が聞こえてきた。
 「サマルカンドの町に入ったよ」
顔をあげて窓から町を見た。
ウルゲンチやブハラに比べ、サマルカンドは都会だった。
車が列をなしていてちょっとした渋滞だ。
バスは公園にさしかかり、日暮れ時の残照と電飾の光のなかに、ティムール王の銅像が見えた。
サマルカンドを青の都につくり上げた、大王ティムールだ。

来たよ。
やっと来た。
憧れの町サマルカンド。
赤いバラは咲いているだろうか。

・・・なあんて、感傷に浸りたいところだが。
現実はそうロマンチックにいかない。
サマルカンドの星空を見上げながら私が想っていたことは、
 「ああ、早くトイレに行きたい」
であった。
バスは6時間も走りっぱなしで、1回の休憩もないのだった。
バングラディシュの人々は、なぜみんな我慢していられるのだろうか。

サマルカンドでの宿は、民家を改造したペンション風ホテル。
ブハラの女将・ファティマが紹介してくれた宿だ。
だが、
 「ファティマが連絡をくれなかったもんだから」
と、宿の主人はしきりに恐縮した。
評判がいいのか、シーズンオフにもかかわらず、4つある客室はすべて埋まっていると言われたのだ。
主人のティムールはしきりに揉み手をしながら謝った。
 「ファティマはいい友達だし、かまわないんだけど・・・電話さえくれたら部屋を空けておいたんだけどね。
  こんな部屋しかなくて、本当にごめんなさい。」
案内されたのは地下の予備室だった。
清潔だが、トイレもシャワーもまともな灯りさえない部屋だ。
 「明日になったら、いい部屋があるから!
  今夜一晩だけ、我慢してね。ほんとゴメンね。」

その晩は美人の奥さんが夕食を用意してくれた。
居間兼食堂では、観光を終えた旅行者たちが集ってTVを見たりお茶を飲んだりしている。
アットホームな宿のこと、あっというまに会話の輪がった。
チェコ人の夫妻。
ドイツ人の男の子2人。
カナダ人の女一人旅。
そして日本人の私。
・・・チェコ人夫妻は英語が話せなかったので、お互いがお互いを通訳しながら、宿の主人家族も交え、しっちゃかめっちゃかな会話で盛り上がる。
私が日本人だと知ると、彼らは自分の知っている限りの日本語をならべて自慢しはじめた。「カラテ、ジュードー」「オカアサン」「コンニチハ」「チューイ」
そこで私も、
 「ドイツ語をしってるぞ」
と得意気に言ってやった。
 「グーテンモルゲン(おはよう)、グーテンターク(こんにちは)、イッヒ・リーベ・ディッヒ!(愛してる!)」
これにはドイツ人もチェコ人も馬鹿ウケであった。
世界中どこででも、ギャグ(なのか?)がウケると人は満足するものである。
その夜は真っ暗な地下室で寝なければならなかったが、心はなんだか幸せだった。


ウズベキスタン | 【2008-01-06(Sun) 23:57:06】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
「サマルカンドの赤いばら」に会いに
ウズベキスタン7日目。
私はようやくレギスタン広場に立つことができた。
レギスタンはサマルカンドの象徴だ。
ウズベキスタンの象徴、と言ってもいいかもしれない。
中央アジアのガイドブックには必ずレギスタンの写真が載る。
童話のお城を思わせる青いドームと、白い壁。
広場を囲む3つのメドレセが美しさを競いあっている。

昼のレギスタン広場


夜のレギスタン広場


夕暮れのレギスタン



こは私の旅の目的地でもあった。
朝日に照らされたレギスタンで私を待っていたのは、たくさんのバラだった。
広場じゅうバラの花園だ。ピンクや黄色や、花びらが幾重にもかさなりあうバラもあれば、野草を思わせる原種のシンプルなバラもある。
それにもちろん、真紅のバラ・・・『サマルカンドの赤いばら』も。

実を言うと、秋も深まる10月下旬のことで・・・そりゃあまあ、ある程度、いやかなり、枯れてはいたんだけれどね。
私のなかでは、恋こがれた赤いバラが咲き誇っていたことになっている。
サマルカンドの赤いばら


ウズベキスタン | 【2008-01-07(Mon) 14:29:17】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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